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ボルン・ハーバーサイクルと格子エネルギー:結晶の安定性を評価する

更新 2024-3-3

イオン結晶と格子エネルギー(lattice energy)

物質の中では原子同士が化学結合によって結びついています.「化学結合とは何か」と言うのは難しい問題であり、単に物質をつなぎとめるための原動力の総称であって、より詳細にはいくつかの種類の結合を考える必要があります.

共有結合」「イオン結合」「金属結合」というのはその代表であり、原子が電子をどの程度引き付けやすいか(電気陰性度)に応じて結合の度合いが異なります.

ある2つの原子の電気陰性度の差が非常に大きいとき、両者はイオン結合により化合物を形成します.このとき、電子を手放しやすい原子から電子を引き付けやすい原子が移動し、前者は陽イオン、後者は陰イオンとなってクーロン力によって引き付け合います.

このイオン結合は方向性を持たず結合力が強いため、非常に多くのイオンが凝集して結晶を作ります.食塩(\rm{NaCl})は代表的なイオン結合性の物質です.

こうしたイオン結合性の物質を扱う際、その物質がどの程度安定であるかの指標が必要になる場合があります.例えば、耐熱材料や絶縁材料として使用する場合は物質の安定性が非常に重要です.この「イオン結合性の物質の安定性」を見積もる指標として格子エネルギーが使われることがあります.

今回は、格子エネルギーと、格子エネルギーを算出する際に使用されるダイアグラム「ボルン・ハーバーサイクル」について詳しく見ていきます.

格子エネルギーとボルンハーバーサイクル(Born–Haber cycle)

格子エネルギーとは「イオン結合性の固体をバラバラに分解し、その構成元素を気体イオンに変換するために必要なエネルギー」です.

分解するために余分にエネルギーが必要なことに注目すれば、この過程は常に吸熱反応となります.温度は 0 K、物質は 1 mol あたりの値とし、単位は kJ/mol で表します.

格子エネルギーは「物質の安定性」を表すために便利な指標ですが、口で言うのは簡単でも値を求めるのは簡単ではありません.固体物質を気体に変換する際にはいくつかの段階を挟む必要があり、格子エネルギーを直接的に測定することはできません.

直接的に測定はできなくとも、間接的に測定することはできます.そこで用いるのが、ボルン・ハーバーサイクルです.固体物質の分解をいくつかの過程に分解し、それぞれに必要なエネルギーを別々に求めることで格子エネルギーを間接的に算出することが可能です.

ボルンハーバーサイクルから格子エネルギーを求める

固体が気体イオンに変換されるまでに何が起こるかを考えます.典型的なイオン結合性の物質として食塩(\rm{NaCl})を考えましょう.

まず、生成エネルギー(ΔH_f)を考えます.これは、物質が単体の元素から生成するために必要なエネルギーであり、物質によって正の値であったり負の値であったりします.\rm{NaCl}の場合、その安定性から想像できるように生成エネルギーは負であり、発熱反応です.

  \rm{Na(s) + \dfrac{1}{2}Cl_2(g) → NaCl(s)}

逆に言えば\rm{NaCl}を単体に分解するために必要なエネルギーは正です.

生成エネルギー

続いて、物質を全て気体に変換します.この際に必要なエネルギーが昇華エネルギー(ΔH_s)であり、正の値をとります.\rm{NaCl}の場合、\rm{Cl_2}は既に気体であるので、\rm{Na}の昇華のみを考えます.

   \rm{Na(s) + \dfrac{1}{2}Cl_2(g) → Na(g) + \dfrac{1}{2}Cl_2(g)}

昇華エネルギー

塩素が分子のままなので、原子の姿に変えましょう.分子の結合による安定化エネルギーを結合エネルギー(ΔH_c)と呼び、負の値を持ちますが、ここでは結合を引き剥がすためにエネルギーを注入する必要があります.これを結合解離エネルギー(ΔH_d)と呼び、結合エネルギーと逆の符号を持ちます.

   \rm{Na(s) +  \dfrac{1}{2}Cl_2(g) → Na(g) + Cl(g)} 

結合解離エネルギー

次は、気体原子をイオン化させます.\rm{Na(s)}を陽イオンに変換する際に必要となるエネルギーがイオン化エネルギー(IE)です.原子から電子を引き剥がすためにエネルギーが必要になるので、は正の値となります.

  \rm{Na(g) + Cl(g) → Na^+(g) + Cl(g)}

イオン化エネルギー

最後に、\rm{Cl^-}を陰イオンに変換します.原子が電子を取り込んで陰イオンになる際に放出されるエネルギーが電子親和力(EA)です.放出されるエネルギーは負の値で表すことが一般的ですが、電子親和力ではその定義から正の値をとります.

  \rm{Na(g) + Cl(g) → Na^+(g) + Cl^-(g)}

電子親和力

これにて無事に固体を気体イオンに分解することができました.

ヘスの法則と格子エネルギー

熱力学における重要な法則としてヘスの法則があります.これは、ある熱力学的なプロセスを個々のプロセスに分解したとき、全体のプロセスのエネルギー変化は個々のプロセスのエネルギー変化の総和になるというものです.

ヘスの法則を利用することで、個々の過程で得られたエネルギーを合計することで格子エネルギーを求めることができます.

プロセスが多くあって複雑なので、一つの図にまとめてみます.

エネルギーが高い側を上に書くと、固体の状態が一番下に来ます.一番上は気体イオンの状態と考えたいところですが、ややこしいことにその一歩前の段階が一番上に来ます.これは、電子親和力が正の値をとるものとして定義されているためです.

各プロセスのエネルギーの符号に注意して足し引きすることで、格子エネルギーに相当するエネルギーを求めることができます.

(生成エネルギー)=(昇華エネルギー)+(結合解離エネルギー)+(イオン化エネルギー)ー(電子親和力)ー(格子エネルギー)

なお、ボルンハーバーサイクルは結合がイオン結合であることを前提にしています.  \rm{NaCl}\rm{LiF}のようなイオン結合性の物質には適用できますが、\rm{SiO_2}のように共有結合性が大きい物質では適用できない点に注意してください.

また、格子エネルギーは理論的にもある程度推察することができます.各イオンに働くクーロン力を計算したマーデルングエネルギーはその代表であり、実験的な格子エネルギーに近い値が算出されています.

(例えば、\rm{LiF}ではボルンハーバーサイクルからは -788 kJ/mol, マーデルングエネルギーからは-753 kJ/molの値が得られている)

まとめ

格子エネルギーは、物質の安定性を議論する上で非常に重要かつ基礎的なパラメータですが、実験的に直接求めることは困難です.ボルンハーバーサイクルでは、各プロセスで必要な熱エネルギーの合計が全体で必要なエネルギーに一致するという、熱力学の重要な帰結を利用して間接的に格子エネルギーを求めます.

どちらかと言えば定期テストの計算問題で見かけることの多い概念だと思います.実務で使われることはあまりないと思いますが、最近でも新しい物質系でボルンハーバーサイクルが扱われることがあります.

参考文献

化学と教育 2021 年 69 巻 7 号 p. 296-299

Lattice Energy: The Born-Haber cycle - Chemistry LibreTexts