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銅酸化物以前に高温超伝導体の候補とされていた物質:CuClとCdS

更新 2024-3-3

超伝導と高温超伝導

超伝導とは、物質がゼロの電気抵抗(無限大の電気伝導度)を示す現象です.その非自明かつ劇的な現象は多くの物理学者を魅了し、発見から100年以上経った現代に至るまで、超伝導は物性物理研究の一大トピックです.

超伝導は基礎研究の対象として魅力的ですが、応用の観点からも期待が高まっています.電気抵抗がゼロということは、ジュール熱による損失もゼロであるため、送電分野に革命をもたらしたり、強力な電磁石となる可能性を秘めています.

これほど有用な超伝導ですが、日常で見かける機会はそれほど多くありません.その理由は、超伝導がある温度以下の低温でしか起こらないためです.

転移温度(T_c)はマイナス250度であれば高い方であり、ほとんどの超伝導は絶対零度近くの極低温でのみ見られます(例えば、アルミニウムはマイナス272度=1 K以下).そのため、超伝導は日常的なデバイスに用いるには向かず、MRIやSQUIDなど一部の大型機械でのみ用いられます.

では、なぜ超伝導は極低温でしか起こらないのでしょうか.これは一筋縄ではいかない難問ですが、一部の物質はある程度の「高温」でも超伝導を示すことが分かってきています.

その筆頭は銅酸化物で、液体窒素の沸点(77 K)を超える転移温度を持ちます.銅酸化物の研究は1980年代に爆発的に進展し、超伝導転移温度の上限は一気に引き上げられることになります.その後、鉄系材料やフラーレン系材料など転移温度の高い超伝導体が見つかっています.最近では、水素化物材料において常温に近い転移温度が(超高圧下限定で)実現しています.

現在では「高温超伝導」が存在することが当たり前になっています.しかし、当然ながら、銅酸化物が登場した1986年以前の世界では、「高温超伝導」など存在するかどうかも分からない夢物語でした.

そのような中でも、高温超伝導への夢を抱いて物質探索を行う実験家・理論家がいました.銅酸化物よりも前、高温超伝導体の候補として最も有力視されていた材料が塩化銅 (\rm{CuCl}です.

残念ながら、塩化銅は高温超伝導体であるかどうかも分からないまま、その後の銅酸化物の発見によって歴史の闇に埋もれてしまいました.今日では超伝導の文脈で塩化銅の話題が出ることはありません.では、なぜ塩化銅は超伝導体として注目されていたのでしょうか.

今回は、塩化銅にまつわる歴史を振り返ります.

塩化銅(\rm{CuCl}

塩化銅(\rm{CuCl})は閃亜鉛鉱型構造を持つ白色の固体材料です.ルイス酸として知られ、有機化学反応の合成触媒として広く利用されています.電気を通さない絶縁体であり、一見では超伝導との接点は全く無いように見えます.

きっかけとなったのは、N. B. Brandtらによる1978年の報告です.当時、銅酸化物はまだ見つかっていないわけですから、超伝導転移温度のワールドレコードは20 K程度の超低温でした.

Brandtらは、 \rm{CuCl}を高圧下(数千気圧)で急冷・急熱したところ、170K以下の温度で大きな反磁性と電気抵抗の急激な低下を観測しました.ともに超伝導を特徴づける現象ですから、世界初の高温超伝導が \rm{CuCl}で現れたのではないかと期待されたわけです.[a]

この「超伝導」はやや不安定なようで、温度サイクルを繰り返すと転移温度が3分の1程度まで低下してしまうようでした.しかし、温度を一定にすればこの状態は数時間に渡って維持されます.同様の現象は別グループによって再現され、中には転移温度が240 Kにまで達するという報告もありました.[b,c]

C. W. Chuらは、 \rm{CuCl}における「超伝導」が以下のようなメカニズムで起こると提唱しました.すなわち、高圧かつ急冷・急熱した環境下では以下のような反応が起こり、

  \rm{2CuCl → Cu + CuCl_2}

ここで生じた \rm{Cu:CuCl}の金属・絶縁体界面で準安定な超伝導が起こるとしました.また、このような高圧による「超伝導」の他にも、電圧印加によっても類似の現象が起こることも報告されていました.[d]

さらに、240 K以下における電気抵抗の低下と反磁性は、シリコン基板に成長させた \rm{CuCl}薄膜でも起こることが知られています.この際、両物質の界面に垂直な方向では反磁性を示すものの、平行な方向には常磁性のままであるようで、大きな異方性を持つことが伺えます.[e]

興味深いことに、 \rm{CuCl}と似たように高圧による「超伝導」のような振る舞いが、 \rm{Cl}をわずかに添加した硫化カドミウム( \rm{CdS:Cl})でも報告されました.

 \rm{CdS} \rm{CuCl}と同様に閃亜鉛鉱型構造の半導体で、もちろん超伝導体ではありません. \rm{CdS:Cl}に4万気圧程度の高圧をかけ、高速で解放することによって77 K程度で電気抵抗の低下と反磁性が観測されました.これらの振る舞いは \rm{Cl}の量や温度・圧力履歴によっても変化します.[f]

塩化銅(\rm{CuCl})は高温超伝導体か否か

現在のところ、 \rm{CuCl}は高温超伝導体とはみなされていないように思います.確かに、転移温度以下で電気抵抗の低下と大きな反磁性が見られるものの、試料や測定条件によって特性が大きく異なり、したがって何が「超伝導」の起源であるかが分かっていません.そもそも、超伝導とは別の現象なのかもしれません.

銅酸化物の発見に前後して多くの「高温超伝導体」が報告されましたが、そのほとんどは再現がされていません.このような幻の超伝導体を総称して、USO(Unidentified Superconducting Object, 当然ながらUFOのもじり)と呼びますが、 \rm{CuCl}をUSOの仲間と数える向きもあります.

しかし、 \rm{CuCl}における「超伝導」は、同様の現象が別グループによって追試されているという点が重要です.再現性に問題があるとはいえ、何らかの未解明の現象が生じているのは確かなように思います.

超伝導が生じるメカニズムにはいくつかの種類が提案されており、最も一般的なのは電子と結晶格子が相互作用するメカニズムです.一方、銅酸化物のように電子のスピンが磁気的に相互作用して超伝導を起こすとされているものもあります.

さらに、電子と電子が抜けた正孔(ホール)が結びついたペア(励起子、エキシトン)が媒介する全く新しい超伝導メカニズムも提唱されており、(もし超伝導であるならば) \rm{CuCl}はこのエキシトンによる超伝導であると考えられています.[g]

まとめ

1970年代後半から1980年代前半にかけて、 \rm{CuCl}は超伝導業界における一大ムーブメントであったようです.しかし、幸か不幸か銅酸化物のビッグウェーブがすぐ到来し、 \rm{CuCl}における「超伝導」は歴史の影に追いやられたようです.現在では、 \rm{CuCl}を超伝導体とみなす人は多くありません.しかし、全否定するだけの材料は無いように思います.

銅酸化物、鉄系超伝導体、水素化物超伝導体の発見を経て、高温超伝導に関する理解は飛躍的に高まりました.今一度、この太古の「高温超伝導体」に立ち戻ることも、さらなる理解へつながるのではないでしょうか.

参考文献

Philosophical Magazine B 38.5 (1978): 427-444.

Physica C: Superconductivity and its Applications 514 (2015): 237-245.

低温工学 1987 年 22 巻 3 号 p. 166-174

[a] JETP Letters 27 (1978) 37.

[b] Phys. Rev. B 18 (1978) 2116.

[c] Phys. Rev. B 20 (1979) 4506.

[d] Appl. Phys. Lett. 9 (1966) 237.

[e] Physica B 135 (1985) 139.

[f] Phys. Rev. Lett. 45 (1980) 478.

[g] arXiv preprint arXiv:1510.03948 (2015).

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).