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窒化鉄:最強と謳われた幻の磁石

更新 2024-3-1

窒化鉄(Fe16N2

エネルギーを消費したら補充が必要です.電池は電子機器の携帯を可能にする画期的な代物ですが、充電の手間が必ずあります.一方、永久磁石は電池ほどの汎用性はないですが、補充無しで半永久的に磁力を供給してくれる優れものです.無限ではないとはいえ、普通に使用している限りでは非常に長い間磁力を保持し続けます.

これまでに製品化された永久磁石の中で最も優れた性能を示すのがネオジム磁石です.希土類を含む高価な磁石ですが、昨今では100円ショップで取り扱われる程度まで低価格化されています.フェライト磁石は、ネオジム磁石に比べて性能で劣るものの、鉄の酸化物から製造可能なため非常に安価です.このため、優れた性能が必要でない用途では永久磁石の代名詞として使用され、非常に多く生産されています.

高性能だが高価なネオジム磁石と、低性能だが安価なフェライト磁石.永久磁石の選択肢は実質的にこの2種類に絞られています.

用途に応じて使い分ければ良いだけですが、できるならば両方のメリットを同時に兼ね備えた材料が欲しいところです.また、永久磁石を電気自動車やリニアモーターカーに使用するにはまだ磁力が十分でなく、さらに性能に優れた永久磁石の開発も必要です.

そんな悩みを一挙に解決する…かもしれない磁石材料が窒化鉄です.

窒化鉄はかつて最強の磁気モーメントを示す磁石と報告され、安価・安全かつ高性能な磁石材料として持て囃されました.しかし、合成の難しさや再現性の問題から実用化には至っていません.

今回は、窒化鉄の謎と歴史を見ていきます.

永久磁石に求められるもの

理想的な永久磁石には、次のような特性が求められます.

(1)豊富・安価かつ環境に優しい元素で構成されていること
(2)飽和磁化が大きいこと
(3) BH曲線における最大エネルギー積 (BH)_{\text{max}}が大きいこと
(4)保磁力が適度に大きいこと
(5)保磁力温度係数が極めて小さいこと(温度による減磁が小さいこと)

口で言うのは簡単ですが、果たしてそのような理想的な材料があるのでしょうか.

今回の主題である窒化鉄は、(1)~(5)の条件を満たした究極の磁石となる可能性を秘めています.窒化鉄はあらゆる磁石の中で最大の磁力を示し、しかも非常に安価かつ資源的に豊富な鉄と窒素のみから構成されます

しかし、1972年の初報以来、実験の再現性に問題を抱えており、一時は幻の磁石と考えられていました.

窒化鉄(Fe16N2)とその発見

窒化鉄磁石と呼ばれる材料は \rm{Fe_{16}N_2}の組成を持ちます.

窒素( \rm{N})は当然ながら空気中に最も含まれる元素であり、鉄( \rm{Fe})も地球上に豊富な安価な元素です.安くて安全な元素のみから構成される窒化鉄を永久磁石として用いることができれば、エネルギーや資源的な問題から解放されることでしょう.

窒化鉄自体は1951年に発見されましたが、準安定で合成の難しい物質として知られていました.1972年、東北大学のグループは、窒化鉄の薄膜を作成し、窒化鉄が既存の強磁性体を超える巨大磁気モーメントを示すことを見出しました. \rm{Fe_{16}N_2}で見出された磁気モーメントは \rm{2200\text{ } emu/cc}であり、この値は鉄やネオジム磁石を優に上回ります.

当時、世の中の薄膜の研究者は高真空条件での成膜を目指していましたが、あえて低真空で \rm{Fe}を蒸着したらどうなるかを試していた矢先の発見だったと言われます.

巨大な磁気モーメントに業界は盛り上がり、世界中で研究が行われることとなりました.しかし、窒化鉄の研究の再現性は非常に低く、得られた磁気モーメントの値もグループによって様々でした.

なんと、20年以上にわたってだ誰も巨大磁気モーメントを再現することができず、「 \rm{Fe_{16}N_2}は本物か偽物か」を争点に数々の学会で議論が繰り広げられたようです.

1990年代には日立中央研究所のグループが巨大磁気モーメントを再現したと報告し、業界に勢いが戻りますが、そちらの再現もうまくいかず、またしても議論は紛糾します.

いくら優れた性能を示すかもしれないと言っても、モノができなくてはどうしようもありません.研究は徐々に下火となり、2000年代にはほとんど研究が行われませんでした.

しかし、2010年代に再び転機が訪れます. \rm{Fe_{16}N_2}の研究は薄膜から粉末へと舞台を移して展開されました.2013年に単相の \rm{Fe_{16}N_2}粒子の合成に成功し、 \rm{Fe}と同程度の磁気モーメントを持つことを示しました.

粉末での磁気モーメントの値は薄膜のものと比べるとやや低いものの、業界は少し活気を取り戻し、2010年代以降の \rm{Fe_{16}N_2}に関する論文数は上昇傾向にあります.

現在では、 \rm{Fe_{16}N_2}を永久磁石や磁性材料として応用するプロジェクトが進められています.一方で、 \rm{Fe_{16}N_2}の合成の難しさや安定性(200℃程度で分解する)の問題が解決されるにはまだ時間がかかりそうです.

窒化鉄の特性

 \rm{Fe_{16}N_2}準安定な物質であり、 \rm{Fe\text{-}N}の相図には現れません.高温からの急冷でのみ合成でき、加熱すると分解する厄介な物質です.近年では、低温で鉄に窒素を導入するソフトな手法で合成されることが多いです.

 \rm{Fe_{16}N_2}の結晶構造は一般的な鉄の体心立方構造に近く、鉄原子の間の隙間に窒素が規則的に配列した構造を示します.立方晶の鉄に対し、 \rm{Fe_{16}N_2}は正方晶であり結晶構造はc軸方向に伸びています.

この影響で鉄原子の磁気モーメントは強い一軸異方性(モーメントが結晶軸の特定の方向を向きたがる性質)を持ち、鉄よりも永久磁石として優れます.

 \rm{Fe_{16}N_2}の巨大磁気モーメントと磁気異方性を組み合わせることで、永久磁石の性能を表すエネルギー積はあらゆる永久磁石の中で最大の理論値が得られます.その値はネオジム磁石の数倍に達しますが、現在ではまだ \rm{Fe_{16}N_2}を用いた永久磁石の開発は途上段階です.

まとめ

環境に優しく、低コストで、大きな磁気エネルギー積を持つ次世代の永久磁石が求められています.市販されているネオジム磁石とフェライト磁石は、高価だが高性能と安価だが低性能の両極端であり、両者の欠点を補った新しい磁石が必要です. \rm{Fe_{16}N_2}は、この問題を解決する有望な候補の一つと目されています.

 \rm{Fe_{16}N_2}は巨大磁気モーメントを示しながらも再現性が悪く、応用どころか実験室レベルでの検証も困難でした.一方で、近年の合成技術の進展により高品質な \rm{Fe_{16}N_2}試料が合成可能となり、研究は再燃しています.イオン注入法などの手法によりバルク磁石の開発も進んでいます.

現在では窒化鉄の再現性の問題は解決されつつありますが、それでも製品化するには問題が山積みの材料です.エネルギー問題を解決する究極の磁石となるか、それとも幻の磁石のまま終わるかはこれからの研究にかかっています.

参考文献

Magnetics Jpn. Vol. 17, No. 2, 2022

Journal of Magnetism and Magnetic Materials 208 (2000) 145157

Journal of Magnetism and Magnetic Materials 497 (2020) 165962

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).