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日本発のプレプリントサーバ Jxivの現状を見ていく

Jxiv(ジェイカイブ)の誕生まで

現在の論文投稿プロセスの問題点

一本の論文がジャーナルで公開されるまでには、多大なエネルギーと長大な時間が必要です.

手間暇かけて仕上げた原稿を投稿すると、エディターが体裁を確認して査読者に回し、査読者が掲載の可否をジャッジします.エディターは、査読者からのコメントをもとに、論文を掲載すべきか否かを判断します.

軽く言ってくれますが、ここまで1週間で済めば奇跡、1か月ならまだマシ、場合によっては数か月かかることもあります.一度の査読ですんなり掲載が認められることは稀で、大抵の場合は論文の改訂を行うほか、実験をしてデータを追加する必要があります.ここまでやっても掲載不許可はざら.リジェクトされればまた他の雑誌に投稿し直して同じことの繰り返しです.

何度も掲載をお断りされ、結果的に年単位の時間がかかってしまうこともあります.競争の激しい分野であればあるほど、失われた時間はあまりにも貴重です.学術論文に慎重な審査は必要ですが、毎回あまりに時間がかかるようでは学問の進歩の妨げともなりかねません.

プレプリントサーバの台頭

「すぐさま論文を発表したい」.研究者からこのような願いが生まれたのは必然でした.こうして生まれたのがプレプリントサーバです.

プレプリントサーバとは、研究成果を「査読付き学術誌で正式に公開される前の段階」でオンライン上に自由に共有できるプラットフォームです.研究者は自身の論文(プレプリント)を投稿すると、運営側による簡易的なチェックだけで、数日で論文を公開できます.従来プロセスに比べてはるかに迅速に研究成果を世に示すことが可能です.

公開されたプレプリントは誰でも閲覧できるため、研究成果の公開スピードが飛躍的に向上します.一方で、査読を経ていないため、内容が信頼に足るかどうかは読者に委ねられます.

代表的なプレプリントサーバとして、物理学や数学、計算機科学分野を中心に利用される「arXiv」、生物科学向けの「bioRxiv」、化学系の「ChemRxiv」などがあります.このように、研究者も一般利用者も最新の知見にアクセスできる環境が整いつつあります.

このような状況のもと、日本政府の支援で誕生した完全国産のプレプリントサーバが Jxiv(ジェイカイブ)です.

Jxiv(ジェイカイブ)

名称:Jxiv(ジェイカイブ)
運営:国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)
開始:2022年3月24日
対象分野:自然科学、人文学、社会科学、学際分野など全分野
対応言語:日本語、英語
公開形式:オープンアクセス、DOI付与、Creative Commonsライセンス選択可能
閲覧:誰でも無料で閲覧可能(アカウント不要)
投稿:researchmap または ORCIDのIDを持つ研究者に限定

Jxivは、日本の研究コミュニティ向けに開発されたオープンアクセス型プレプリントサーバです.日本科学技術振興機構(JST)が整備し、国立情報学研究所(NII)がシステム運営を担い、分野の枠を超えて査読前の論文や研究ノート、ポスター・プレゼンテーション資料などを無料で公開することが可能です.

利用を希望する研究者が原稿を登録すると、最低限のチェックを受けるだけで、数日以内に公開されます.投稿された文書には Crossref 発行のDOIが付与され、ORCIDとの連携も可能です.さらに、複数バージョンの管理機能を備えており、外部からのコメントや査読付きジャーナルでのレビューを反映した最新版を随時アップロードできるのも特色です.

Jxivは、国内におけるオープンサイエンス推進の一翼を担い、研究成果の迅速な共有とコミュニティからの早期フィードバックを実現する場として大いに注目されました.

Jxivは2022年3月24日に稼働を開始しましたが、稼働から3年半ほど経った今、Jxivはどのような状況になっているでしょうか.

Jxivの現状

Jxivにアクセスし、「すべてのプレプリントから探す」を見れば、Jxivに投稿されたすべてのプレプリントを閲覧できます.

その総数、695件(9月1日現在)

695件

いや、どうなんでしょう.多いのか少ないのか.3年と数か月ほど稼働しているので、単純に考えても1日に1件も投稿がないという状況です.試しに他のプレプリントサーバと状況を比べてみましょう.

arXivでは、Condensed Matter セクションだけでも1日あたり50件ほどの投稿があります.桁が違いますね.ChemRxivは稼働8年で60,000件以上の投稿があるので、単純計算で1日あたり20件ほどでしょうか.これらと比べると、Jxivの投稿数は寂しいと言わざるを得ません.

もちろん、日本語に限定されたプラットフォームである以上、投稿数が少ないのは当然なのですが、学問分野にとらわれない横断型のプラットフォームであることを加味すると、やはり寂しい限りです.

ほとんど見向きもされていないのかと言えば、そういうわけでもありません.サービス稼働開始から投稿数がどのように伸びていったかを見てみます.稼働間もないこともあり傾向についてはっきりとしたことは言えませんが、順調に投稿数は増加しています.

2025年が半年分の集計であることを加味すると単調増加です.このままのペースで投稿数が増加すれば、2026年には1日1投稿(=年間365投稿)に達する見込みです.

しかし、絶対数で見ると物足りないのも事実です.日本人はプレプリントサーバをあまり利用しないのでしょうか.

そうでもないように思います.物性物理学の研究者の知り合いは、当たり前のように論文投稿前にarXivに投稿していますし、最近では化学系の人もChemRxivへ投稿する人が多くなっています.情報学分野では言うまでもなくプレプリント文化が普及しています.

分野別投稿数(2025年8月5日時点)

私が関知しているのは非バイオ系の理系分野までですが、他の分野ではどうなっているのでしょう.Jxivの分野ごとの投稿数を確認し、どの程度偏りがあるのかを見てみます.

見ての通り、分野ごとに投稿数に大きな開きがあることが分かります.分野の研究者人口に依存するので「投稿数が多い=利用頻度が高い」とは言えないものの、大体の傾向はつかめるでしょう.

情報科学の投稿数が最も多く、生物学や経済学が続きます.反対に、歯学・薬学・化学の投稿数は非常に少ないです.arXivの利用でプレプリントサーバの活用が定着している物理学であっても、Jxivでの投稿数は少なめの水準にあります.

認知度と文化的ハードル

このような利用状況を憂慮してかは知りませんが、Jxivはサービスについてのインターネット調査を実施しています(回答者があまりにシニアに偏っていてビビりますが).

2024年度Jxiv利用者満足度調査の結果を公開します | Jxiv, JSTプレプリントサーバ

気になる点としては、「Jxiv以外で投稿したことがあるプレプリントサーバ」への回答です.

Jxivへの投稿経験のある人による回答では、他のプレプリントサーバに投稿したことのない割合が最も大きいものの、arXiv、Research Square などに投稿したことのある割合も一定数います.一方で、Jxivへの投稿経験のない人による回答では、プレプリントサーバに投稿の経験がほとんどないという結果になっています.

Jxivに投稿したことのある人の回答

Jxivに投稿したことのない人の回答

プレプリントの存在が認知されていない人たちには、Jxivを利用するという選択肢がまず思いつかないので、まずはサービスそのものの認知を上げていく必要があるかと思います.

何を投稿すればいいのか分からない問題

認知度の課題もありますが、思うに、最大の問題は「どんな文献を投稿したらいいのか分からない」点ではないでしょうか.

ここまでJxivについて見てきた私自身も、正直どんな論文を投稿すればいいのかイメージできていません.

あらゆる論文には当然ながら主目的となる投稿先があり、最終的にはそちらで掲載されるのだから、わざわざプレプリントサーバに載せる必要は通常ありません.

あるとすれば、本来の用途通り迅速な発表が求められる分野ですが、そうした内容は既存の知名度の高い国際的プレプリントサーバに投稿すればよく、国内に留まるサーバを利用する理由がありません.

であるならば、日本語記載が基本である人文分野での利用がメインとなるでしょうか.しかし、こうした分野はプレプリントサーバを利用する習慣がほとんどなく、そもそもの認知度が高くありません.

また、分野によっては「原稿が未発表であること」が論文の投稿要件として要求されることがあり、そうなるとプレプリントサーバに掲載した時点で投稿の権利がなくなってしまうため、興味はあっても利用はしないといったケースもあるでしょう.

論文内容を書籍として出版予定であれば、無料でインターネット上に公開してしまうのも憚られます

国内学会と意識を擦り合わせるなど、基本的な認識から変えていかないと、Jxivが急速に成長するビジョンは抱けないなあというのが感想です.

まとめ

現在の状況を鑑みるに、Jxivは日本人研究者のプレプリントサーバとしての機能を果たしている役割が限定的です.

しかし、投稿される論文の質が特に低いかと言えば、そういった印象は受けません.Jxivでは論文ごとにダウンロード数が参照できますが、ざっと確認した限りでは閑散ということはなく、月に100以上ダウンロードされているものもあります.

内容を見てもとんでも論文などは見当たりません.すなわち、このプレプリントサーバの質が低いということではなく、単に投稿数が少ないだけという印象を受けました.

投稿数が少ないから投稿する気が起きない状態を抜け出せず、投稿数が少ないままであり続けています.

とはいえ、国内に安定なプレプリントサーバが存在することの意義には同意します.迅速に研究内容が発表できるという強みを活かし、またコロナ禍のような国難の際に、その価値が発揮されるかもしれません.