超伝導が出ない?
超伝導とは、電気抵抗がゼロとなる現象のことです.どんなに純粋な金属であっても有限の電気抵抗がありますが、超伝導体は本当の「ゼロ抵抗」を実現します.磁場を排除するなど、ゼロ抵抗以外にも興味深い物性が続々と発見されており、発見から100年以上が経った現在においてもなお超伝導体は物性物理の研究の中心です.
昨今では多くの超伝導体が発見されていますが、それでも報告されている数多の物質の中では超伝導体は珍しい部類に入ります.物質に適当に石を投げると超伝導体に当たるわけではなく、超伝導を示さない物質のほうがはるかに多いとされます.
それゆえ新しい超伝導体の報告は喜ばしいものであり、多くの物理学者の関心を引きます.題名に”Superconductivity in...”と冠されているのを見かけると興奮する人もいることでしょう.しかし、中には“Absence of superconductivity in …”と、超伝導が出ないことが題名で主張している論文があることに気づくはずです.
超伝導が出ないことの何が面白いのでしょう.再現実験に失敗したのでしょうか.ところが、そうとも言い切れません.「超伝導が出ない」ことをわざわざ報告するには、それ相応の理由が存在します.
「超伝導が出ると鼻高々に主張されていたのに実際測ると出なかった」「絶対超伝導が出ると期待されるのになぜか出なかった」「超伝導が出るはずなのになぜ出ないのか分からない」
今回は、“Absence of superconductivity in …”、つまり超伝導が出ないことを一番の主張とした論文について紹介します.
ホウ化マグネシウム
Absence of superconductivity in
Physica C: Superconductivity, 2001, 353.1-2: 11-13.
そのまま直球な題名が付いています.題名だけ見ると単になる物質が超伝導を示さなかったという報告で、論文の水準に達しているかも怪しいつまらない研究に見えますが、まずは当時の状況を振り返る必要があります.
超伝導は極低温でしか起こらない現象です.実用化を目指すには室温付近で超伝導を示す物質が必要で、超伝導体の歴史はいかに転移温度を上げるかの戦いの歴史でもありました.転移温度は20 K付近から遅々として上がらないまま50年近くが経過し、途中に銅酸化物高温超伝導体の発見があったものの、セラミックでない金属材料の転移温度は21世紀になっても 23 K程度が最高でした.
そんな中、2001年に報告されたは 39 Kもの転移温度を持ち、金属超伝導体の転移温度の記録を大幅に更新しました.超伝導のメカニズムを示す標準的なBCS理論によれば、より軽い元素が高い転移温度に有利とされており、非常に軽い元素のみからなるはこの条件によく合致していました.
軽いが有利なのであれば、同じ結晶構造でさらに軽い元素を選択することは当然の発想です.こうして、周期表でのひとつ上に位置するが選ばれました.より軽いであればさらに高い転移温度を示すことを期待して.
ところが、は超伝導を示しませんでした.これは驚きですね.どうやら、の高い超伝導転移温度には別の要因があるということがはっきりしたのです.
鉄系超伝導体
Absence of superconductivity in hole-doped single crystals
Physical Review B, 2009, 79.22: 224524.
Absence of Superconductivity in the “hole-doped” Fe pnictide : Photoemission and x-ray absorption spectroscopy studies
Physical Review B, 2013, 88.10: 100501.
2008年に報告された鉄系超伝導体は、これまでの超伝導体の常識を打ち破りました.超伝導体と磁性は相性が悪いと考えられていたにも関わらず、磁石であり磁性の象徴である鉄系化合物が高い転移温度をもつ超伝導体であることが分かったのです.
最初期に報告されたは、サイトに置換(すなわち電子ドープ)により転移温度 26 K の超伝導体となります.は層と層が積み重なった層状構造を持っており、層で超伝導が起こるとされています.同様の層を持つ層状物質は他にも多くの種類があり、それらも同様に超伝導を示すことが分かりました.
中でもは非常にシンプルな結晶構造を持ち、単結晶の作成が容易であることから盛んに研究されています.まず、のサイトにをドープ(ホールドープ)することで超伝導体となると報告され、鉄系超伝導体は電子だけでなくホールによっても誘起される事が分かりました.また、サイトにを置換しても超伝導が起こり、層に直接電子ドープを行っても良いことが明らかになりました.
ならば、同様に層にホールを入れても超伝導体になるはず....しかし、この発想に待ったをかけたのが今回の発見です.周期表での左側に位置する元素はとですが、これらをにドープしても超伝導が全く現れないのです.
鉄系物質における超伝導は、ホールか電子かという単純な問題だけではないということが明らかになった瞬間です.
Absence of superconductivity in fluorine-doped neptunium pnictide
Journal of Physics: Condensed Matter, 2015, 27.32: 325702.
またしても鉄系超伝導体からの登場です.をはじめとし、を他のランタノイド元素に置き換えた物質の多くはサイトへのドープにより超伝導を示します.
ところが、ではを導入しても超伝導を示さないのです.どうやら、における5f電子が何か悪さをしているようです.
その他の超伝導体
Absence of Superconductivity in
Journal of the American Chemical Society, 2011, 133.6: 1751-1753.
鉄系超伝導体の発見の流れで、鉄を含まない超伝導体の探索も盛んに行われました.鉄系超伝導体と同様の結晶構造を持つにも関わらず超伝導を示す・示さない物質が分かれば、鉄という元素が超伝導にどのような影響を与えているかの手がかりとなるためです.
そんな中、A new pnictide superconductor without iron (Journal of the American Chemical Society, 2010, 132.3: 908-909.)において、鉄を含まない超伝導体が報告されました.
にわかに注目を集めたと思うのですが、報告からわずか数ヶ月でAbsence of Superconductivity in と題した論文が発表されてしまいます.おそらく再現ができなかったのでしょう.ご丁寧に、類似する組成のいずれも超伝導を示さないことを報告しています.
A new pnictide superconductor without ironの論文の方も、アクセプト(9月)から出版(1月)まで4ヶ月と非常に長い期間が開いているので、何らかの悶着があったのではないかと推測されます.
Absence of superconductivity in bulk
Communications Materials, 2020, 1.1: 1-8.
Absence of superconductivity in thin films without chemical reduction
Rare Metals, 2020, 39.4: 368-374.
1980年代の銅酸化物の発見以降、類似の結晶構造・電子構造を持つ物質で同じように高温超伝導が現れないのかという疑問は常にありました.しかし、銅酸化物高温超伝導体のようなの電子配置を持つ超伝導体はなかなか現れませんでした.
ところが時を下った2019年、突如としてにおける超伝導が発見されます.は銅酸化物の層に似た層を持ち、と同じ電子配置であるを有しています.しかし、多くの銅酸化物と同様にホールドープによって超伝導となります.
酸化物における超伝導は、銅酸化物における高温超伝導の謎を解き明かす鍵であると睨み、世界中で研究が盛んに行われるようになりました.そのためにはまず、酸化物において超伝導が現れるための条件を見極める必要があります.
当初、酸化物で報告されていた超伝導体は、系酸化物からなる薄膜材料を低温還元法によって処理することで合成されたもののみでした.この特殊な合成手段が超伝導の決め手であるのかどうかは、当然に疑問に思う点です.
前者の論文では、薄膜ではなくバルクの材料で同じ組成の物質を作成し、超伝導が出ないことを確認しています.一方、後者の論文では低温還元法を使用せずに直接目的物の合成を行いましたが、やはり超伝導を示しませんでした.
こうなると、酸化物における超伝導は容易に生じるものではなく、何らかの非自明な要因があるのだろうと推測されます.
Absence of superconductivity in the doped antiferromagnetic spin-ladder compound
Nature, 1995, 377.6544: 41-43.
Electron Doping a Kagomé Spin Liquid
Physical Review X, 2016, 6.4: 041007.
超伝導体の探索は理論計算のサイドからも盛んに行われています.中には「どういう物質を作ったら超伝導体になるか」を理論的に詳細に予測し、実際にその通りに超伝導体が得られる場合もあります.こうした理論があると実験家は飛びつくのですが、必ずしも目的の超伝導が現れるとは限りません.
この節の物質は、理論的に超伝導体になると予測されていたにも関わらず期待外れに終わった物質の報告です.前者は、偶数脚を持つスピン梯子格子にホールを導入すると超伝導になるという予想を、実際にモデル物質を作成し、超伝導を示さないことを実証しました.
一方、をはじめとしたカゴメ格子系のスピン液体物質は、キャリアドープにより金属化や超伝導化を起こすと予測されていました.しかし、後者の論文ではに電子ドープを行っても金属化も超伝導化も起こさないことを示しました.
結果だけ見ると虚しいですが、いずれも既存の理論の見直しを迫るという意味で、意義深い結果となります.
Absence of high temperature superconductivity in hydrides under pressure
Nature 596, E9-E10 (2021)
今まさに論争の最中である高温超伝導体についての主張です.C-S-Hの三元系を超高圧下の環境に置くことで室温超伝導になるという報告があったものの、再現が取れなかったり諸々の事情で議論は紛糾.Nature論文撤回の結果となりました.
詳しい顛末は部品さまのブログを参照のこと.
チョウデンドウは作れる❤ ~C-S-H系高圧室温超伝導の撤回とHirschの批判~
まだまだあるAbsence of superconductivity
その他にも、超伝導を示したという報告が追試によって超伝導でないという結果を報告したものがいくつかあります.
Hypervalent Bismuthides (M = Ti, Zr, Hf) and Related Antimonides: Absence of Superconductivity
Inorganic chemistry, 2017, 56.9: 5041-5045.Absence of superconductivity in micrometer-sized ɛ-NbN single crystals
Physical Review B, 2022, 105.17: 174512.Absence of superconductivity down to 80 mK in graphite intercalated
Solid state communications, 2008, 145.9-10: 493-496.The magnetic properties of : absence of superconductivity and helical ground-state
Journal of alloys and compounds, 1995, 228.1: 49-53.Absence of superconductivity in topological metal
Physica C: Superconductivity and its Applications, 2021, 589: 1353928.
まとめ
学術論文に書かれていることが真理とは限りません.たまたま間違った結果を観測してしまったのか、悪意をもって嘘を書いたのかは誰にも分かりません.
また、再現に失敗した側が正解であるとも限りません.発表者と追試者の間のどこかに超伝導を出す(出さない)ための条件が隠れているのかもしれません.そうした追試の繰り返しによって科学は発展していくのです.
ただし、「超伝導を報告した論文」と「その超伝導が再現できなかったことを報告した論文」で、後者のほうが引用数が少ないことが気になりました.また、後者の報告があったからといって前者の論文が必ずしも撤回されるとは限りません.超伝導の報告と同時に結晶構造や合成法などの新規な事柄が報告されているのであれば、超伝導以外の箇所については問題ないので、論文は基本的に撤回されないでしょう.
これは当然のことではあるのですが、前者の方がセンセーショナルに伝わり、後者はなかなかコミュニティに広まりにくいように思います.また、再現が取れなかったという報告はオリジナリティに乏しく、評価がされにくいです.しかし、これでは「インパクトのあることを言ったもの勝ち」になってしまいます.
後者の報告も科学会にとっては有益(場合によって前者は有害)なのですが、後者の重要性が軽視されているようにも感じます.
参考文献
文献は本文中に記載
結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).