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酸水素化物:水素アニオンを取り込んだ新しいセラミックス(2)

酸水素化物の機能:安定な酸化物+不安定な水素化物=?

前回の記事では、酸水素化物について紹介しました.空気中で焼いただけで生成する大多数のセラミックスとは打って変わって、合成するだけでも大変な物質です.また、構造解析を行うのも手間です.

合成するだけで大変なのですから、それに見合った機能が欲しいものです.

今回は、酸水素化物が示す様々な機能について紹介します.

不安定な酸化物としての機能

水素化物は常温・空気中で不安定なものが多いです.有機化学で使用する還元試薬などを思い浮かべればよいでしょう.空気で経年劣化するくらいであればマシな方で、酷いものであれば空気中に出した瞬間に発火します.

酸水素化物は、安定な酸化物と結びついたおかげか,水素化物と比べると安定なものが多いです.空気中で分解するものもありますが、中には水中や400℃程度の高温まで安定な物質も存在します.

物質の安定性が高まっても、水素アニオンの反応性は健在です.水素アニオンは非常に還元力が強く、温度が上がると金属を還元して(自身は酸化されて)水素が脱離します.

しかし、 \rm{BaTi(O,H)_3}という物質では水素が脱離するだけでなく、周囲の水素を取り込む(=交換する)性質があることが分かりました.実際、 \rm{D_2}雰囲気で \rm{BaTi(O,H)_3}を加熱した際に、 \rm{BaTi(O,H)_3} \rm{D}が取り込まれる反応が報告されています.[a]

また、脱離しやすい水素の性質を利用して、種々のアニオンと水素アニオンを交換する反応が模索されました.例えば窒素. \rm{NH_3}中で熱処理することにより \rm{BaTi(O,N)_{3-δ}}が生成します.[b]

通常、 \rm{BaTiO_3} \rm{NH_3}の反応は1000℃近くの高温でのみ起こりますが、 \rm{BaTi(O,H)_3}は400℃程度で \rm{N} \rm{H}を交換することに成功しています.[b]

そのほか, \rm{H} \rm{F}の交換や, \rm{H} \rm{OH}が共存する物質の合成の報告もあります.高温で水素を完全に脱離させることで、酸素欠損した酸化物を生成し、さらなる窒化反応の前駆体にすることもできます.[c,d]

また, \rm{BaTi(O,H)_3} \rm{NH_3}だけでなく \rm{N_2}とも反応して \rm{BaTi(O,N)_3}を生成します. \rm{N_2}というと堅固な三重結合を持つことでおなじみですが、これを解離することができるのです.

さて、水素と窒素を解離できる性質があるということは、何かうまい用途があるのではないかと考えます.

水素と窒素.そう、アンモニアですね. \rm{BaTi(O,H)_3}アンモニアの合成触媒としても高い活性を示します.[e,f]

 \rm{BaCe(O,N,H)_3} \rm{La(O,H)_{3-δ}}などの酸水素化物も高い触媒活性を示します.[g,h]

安定な水素化物としての機能

水素アニオンは軽く、低い電荷、大きな還元電位(–2.25V)を示します.このような特性は電池材料として魅力的です.

電池にはイオンが伝導する物質(イオン伝導体)が必要ですが,これまでの電池材料ではリチウムやマグネシウムなどのカチオン種が使用されてきました.新しい種類の電荷担体の存在は、新しい原理に基づく電池の登場を予感させます.

とはいえ、水素アニオンが動く(伝導する)物質がなければ話になりません. \rm{BaH_2}という水素化物は高いヒドリド伝導度を示すことが知られていますが、水素化物は不安定であり、このままではなかなかデバイスとしての使用が難しいところです.[i]

そんな折、酸水素化物中でのヒドリド伝導が報告されたのは2016年のことでした. \rm{La、 Sr、 Li}からなる層状ペロブスカイト型酸水素化物が高いヒドリド伝導を示しました.また、金属の組成を変えることで伝導度や構造、化学的な安定性を制御することが可能です.[j]

その後、 \rm{Ba} \rm{La}を含む酸水素化物でさらに高い伝導度が報告されています.最近では、室温でも高いヒドリド電導度を示す酸水素化物が相次いで報告されています.[k-n]

水素化物が魅力的な性質を示したとしても、安定性が低いので工業的な応用には問題があります.酸化物イオンのフレームワークを用いることで安定性を担保しつつ、ヒドリドの持つ機能性を加えることができます.

化学的に不安定で扱いにくいニトログリセリンを珪藻土に染み込ませる事で扱いを容易にしたダイナマイトのような効能と言えるでしょう.

水素に特有の機能

酸化物に水素が導入されることで何が変わるでしょうか.

一つは遷移金属の価数が変わります.水素は酸素と違って1価のアニオンなので、酸素と水素が入れ替わるとすれば電荷補償のために金属の価数が変わるしかありません.これにより、一部の酸水素化物は金属伝導を示します.また、伝導キャリアの影響により \rm{EuTi(O,H)_3}は強磁性を示すようになります.[o]

水素が他のアニオンと全く異なる点は何でしょうか.

水素は、内殻に電子軌道を持っていません.すると何が起こるでしょう.内殻電子からの反発を避けられるため、水素アニオンは非常に縮みやすいです.[p,q]

それだけでなく、ヒドリドは環境に応じて様々な大きさをとることが可能で(130–153 pm)、このような性質は他のアニオン種では見られません.サイズが自在に変わることはイオン伝導にとって有利で、狭いネットワークであっても大きさをフレキシブルに変えることで伝導することが可能になります.

また、水素の最外殻電子軌道は1sであり、p軌道である他のアニオンとは区別されます.この違いは磁気相互作用を考慮する際に大きく関わってきます.

一般に酸化物の磁性体では遷移金属が磁石の性質を持ち、酸素のp軌道を介することで磁気相互作用が物質全体を伝わります.ところがそこに水素があるとどうなるでしょうか.

一部の物質では、s軌道とp軌道の対称性の違いから、磁気相互作用がブロックされることが分かっています.このとき、ヒドリドを介した磁気相互作用は無視できるほど小さくなり、相互作用を切断するハサミのように機能します.一方、物質によっては水素が磁気相互作用を強める働きをする場合もあります.[p,r]

その他、酸水素化物は蛍光体や光触媒などの機能も知られています.[s,t]

まとめ

安定な酸化物と不安定な水素化物.一見相反するようですが、この二つの機能を融合することを可能にした物質が酸水素化物です.酸化物の弱点(安定すぎて反応性に乏しい)と水素化物の弱点(不安定すぎて応用先がない)をうまく解消した物質も多く報告されてきました.

水素社会が叫ばれて久しいですが、酸水素化物は新しい水素材料として利用できるでしょうか.機能的には優れていますが、問題はその合成法です.現在使用されている合成法はいずれも高価で手間がかかるもの.また、大量生産にも向きません.

とはいえ酸水素化物の研究が盛んになってからはまだ日が浅く、研究は日進月歩で進んでいます.自宅で見かけることはなくとも、工業で利用されるのは案外すぐ先かもしれません.

参考文献

[a] Nature materials, 2012, 11.6: 507-511.

[b] Nature Chemistry, 2015, 7.12: 1017-1023.

[c] Journal of the American Chemical Society, 2015, 137.48: 15315-15321.

[d] Journal of the American Chemical Society, 2016, 138.9: 3211-3217.

[e] Advanced Energy Materials, 2018, 8.36: 1801772.

[f] Journal of the American Chemical Society, 2017, 139.50: 18240-18246.

[g] Journal of the American Chemical Society, 2019, 141.51: 20344-20353.

[h] Advanced Energy Materials, 2021, 11.4: 2003723.

[i] Nature materials, 2015, 14.1: 95-100.

[j] Science, 2016, 351.6279: 1314-1317.

[k] Nature communications, 2019, 10.1: 1-8.

[l] Journal of the American Chemical Society, 2022, 144.4: 1523-1527.

[m] Science Advances, 2021, 7.23: eabf7883.

[n] Nature Materials, 2022, 21.3: 325-330.

[o] Inorganic chemistry, 2015, 54.4: 1501-1507.

[p] Nature communications, 2017, 8.1: 1-7.

[q] Journal of the American Chemical Society, 2018, 140.36: 11170-11173.

[r] Inorganic Chemistry, 2021, 60.16: 11957-11963.

[s] Journal of Materials Chemistry C, 2018, 6.28: 7541-7548.

[t] Chemistry of Materials, 2021, 33.10: 3631-3638.

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).