はじめよう固体の科学

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スレーター・ポーリング曲線とその向こう側:最も大きな飽和磁化を持つ物質を求めて

強磁性体と飽和磁化

は、世界で最も多く生産・消費されている金属です.優れた強度や加工性を持ちながら安定で産出量の大きな鉄は、太古より人類史を形作ってきました.

構造材料として鉄が使われた時期に比べると、鉄のもう一つの性質が見出されたのはずいぶん後になってのことです.その性質とは、強磁性です.磁力の源である強磁性体は、羅針盤としての用途からはじまりあらゆる電子デバイスに組み込まれています.

室温で強磁性を示す金属元素は4種類しかありません.すなわち、鉄(\rm{Fe})、コバルト(\rm{Co})、ニッケル(\rm{Ni})、ガドリニウム(\rm{Gd})です.この中で最も安価で産出量の多い鉄が強磁性体の代表であることは必然と言えるでしょう.

しかも、人類にとって幸運なことに、飽和磁化(磁石から取り出すことのできる磁力の限界値)が最も大きな元素もまた鉄なのです.これは、材料調達面だけでなく、性能面だけ見ても鉄が最も魅力的であることを意味します.

飽和磁化が大きいほど、磁石の出力は上がり用途も広がります.鉄よりももっと大きな飽和磁化を得るにはどうすればよいでしょう.

鉄に別元素を混ぜ合わせた時、ほとんどの場合は飽和磁化が下がります.一方で、飽和磁化が大きくなる系も知られています.そして、どのような系で飽和磁化が上がるか(あるいは下がるか)は元素一つ当たりの価電子数と関係があることが知られています.

この関係をまとめたものがスレーター・ポーリング曲線です.

スレーター・ポーリング曲線(Slater-Pauling curve)

実物を見てみましょう.縦軸はボーア磁子(µB)単位で表した原子一つ当たりの飽和磁化、横軸は価電子数です.図の真ん中付近を頂点とした山のような形状が見て取れます.

The Slater-Pauling curve. [1]

これが1930年代にスレーター*1とポーリング*2によって見出された経験則、スレーター・ポーリング曲線です.[2]

\rm{Fe}は2.2 µB\rm{Co}は1.7 µB\rm{Ni}は0.6 µBの飽和磁化を示し、山の斜面の一部を構成します.間にある点は、金属元素を混ぜ合わせ固溶体を作ることで得られます.\rm{Fe}は体心立方構造、\rm{Ni}は面心立方構造、\rm{Co}は六方最密構造とそれぞれ結晶構造が異なるため、これらの間の固溶体も当然バラバラの結晶構造をとります.それにも関わらず、きれいな山ができることは、飽和磁化が結晶構造には関係なく電子数によって決まることを意味します.

よく見ると、山の頂点は\rm{Fe}ではなく、少し右にずれた位置にあることが分かります.\rm{Fe}\rm{Co}の合金は\rm{Fe}よりも大きな飽和磁化を示し、\rm{Fe_{0.75}Co_{0.25}}に近い組成で最大の値(2.4 µB)を示します.\rm{Fe:Co=1:1}とした合金はパーメンジュールと呼ばれ、大きな飽和磁化を示す軟磁性体として使用されています.

さて、価電子数が同じであっても\rm{Fe-Ni}合金は\rm{Fe-Co}合金ほど大きな飽和磁化には至らないようです.また、図中の各点は山の表面だけでなく内部にも位置しています.これは、電子数だけが飽和磁化を決めるわけではないことを示しています.

なお、スレーター・ポーリング曲線は絶対零度(付近)での飽和磁化を表しており、所望の温度で強磁性を維持するかはまた別の問題です.

スレーター・ポーリング曲線の向こう側へ

1930年代に導かれた経験則でありながら、スレーター・ポーリング曲線の頂上よりも大きな飽和磁化を示すような物質はほとんど見つかっていません.磁性体の界隈からするとこれは大問題で、幾度となく材料開発が行われては敗北していきました.

最も基本的な元素の\rm{Fe}と比べて、どんなに材料探索を重ねても飽和磁化を1割程度しか向上させることができないのです.

それでも、いくらか進展はありました.有名な例は窒化鉄\rm{Fe_{16}N_2})です.体心立方格子の\rm{Fe}の格子間に\rm{N}が一部入った構造を持ちます.その飽和磁化は\rm{Fe}1原子当たり2.8 µBと報告されており、スレーター・ポーリング曲線の限界を大きく超える値です.

このような大きな磁化を示す要因は、\rm{N}が入った影響による格子の膨張もしくは歪みであると言われています.しかし、最初の報告から何十年たっても飽和磁化の再現性が十分にとれておらず、半ば幻の磁性体とみなされています.

スレーター・ポーリング曲線における組成は二元系に限られています.これを三元系や四元系に拡張したらどうなるでしょうか.手作業で合成を行うには時間がかかりすぎますが、計算科学の進歩によって実際に合成しなくても物性を推定できる環境が整いつつあります.

最近では、機械学習の力を借りて\rm{Fe}よりも大きな飽和磁化を示す合金の開発が行われました.その研究によれば、体心立方構造を持つという仮定の下で、最も大きな飽和磁化を示す組成は\rm{Fe_{0.82}Co_{0.13}Ir_{0.04}Pt_{0.01}}であったとのこと.うーむ、これは手作業では見つかるはずがない.[3]

著者らは実際に合成・物性測定を行い、\rm{Fe-Co}系に\rm{Ir}あるいは\rm{Pt}を添加することで飽和磁化が向上することを見出したようです.さらに理論的な考察によれば、\rm{Ir}\rm{Pt}\rm{Fe-Co}合金中に存在することによって、近くにある\rm{Fe}および\rm{Co}の磁気モーメントを向上させる効果があるようです.その理由となると、まだ明らかでないようですが、\rm{Ir}\rm{Pt}の大きな電気陰性度に関係があるのではないかと個人的には思っています.

いずれにせよ、\rm{Ir}\rm{Pt}も非常に高価な元素なので実用化には期待が持てません.まだしばらくは(もしかすると永遠に)\rm{Fe}の天下が続きそうです.

その他、ホイスラー合金においてもスレーター・ポーリング曲線のようなスケール側が見つかっており、飽和磁化と価電子数に顕著な相関がみられるようです.[4]

まとめ

飽和磁化が大きく実用可能な材料が見つかれば、あらゆる磁気デバイスの性能が向上します.元素である\rm{Fe}が大きな飽和磁化を示すことは人類にとって幸運であり、同時に不幸でもありました.手軽に高性能な磁性体が得られる一方、どんなに工夫しても大幅に飽和磁化を上げることが叶わないのです.\rm{Fe}をあらゆる元素と組み合わせることで性能向上を求めてきましたが、100年近く前に見出されたスレーター・ポーリング曲線の示す限界を未だに超えられません.

もし\rm{Fe}以外の元素を使うのが答えであったとしても、経済性の面で\rm{Fe}を超える元素はほとんどなく、結局は\rm{Fe}を使った方が良いということになります.もちろん飽和磁化以外にも気にかけるべき特性は山ほどあり、それぞれ進展がみられるのですが、根本の飽和磁化に関しては難しい戦いを強いられています.

参考文献

[1] Broddefalk, Arvid. Magnetic properties of transition metal compounds and superlattices. Diss. Acta Universitatis Upsaliensis, 2000. / Bozorth, Richard M., Princeton NJ Ferromagnetism, and D. Van Nostrand. "546." (1951).

[2] Slater, John C. "Electronic structure of alloys." Journal of Applied Physics 8.6 (1937): 385-390.  / Pauling, Linus. "The nature of the interatomic forces in metals." Physical Review 54.11 (1938): 899.

[3] Iwasaki, Yuma, et al. "Machine learning autonomous identification of magnetic alloys beyond the Slater-Pauling limit." Communications Materials 2.1 (2021): 31.

[4] Galanakis, I., P. H. Dederichs, and N. Papanikolaou. "Slater-Pauling behavior and origin of the half-metallicity of the full- Heusler alloys." Physical Review B66.17 (2002): 174429. / Skaftouros, S., et al. "Generalized Slater-Pauling rule for the inverse Heusler compounds." Physical Review B-Condensed Matter and Materials Physics 87.2 (2013): 02

*1:スレーター行列式のスレータ一

*2:ポーリングの原理のポーリング