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ベント則:VSEPR則の限界を超えて分子の形を予測する(2)

ベント則

前回の記事ではベント則の概要について説明しました.

ベント則の主張は以下の一文に尽きます.

”Atomic s character concentrates in orbitals directed toward electropositive substituents.”
「原子のs性は、電気的に陽性な置換基を向いた軌道に集中する」

前回の記事を読んだ方であれば意味は理解できると思いますが、「だから何なの?」と思っている方もいるかと思います.

今回は、このベント則を利用して、実際の分子の形をどのように理解可能かを見ていきます.

ベント則を使ってみる

ベント則よりも前に分子の形を理解しようとした理論がありました.VSEPR則です.大まかな分子の形を予想するにはVSEPR則で十分です.しかし、VSEPRでは\rm{H_2O}分子における結合角が理想的な四面体のものよりも小さい理由を説明することができません.

ベント則では、\rm{H_2O}分子中の結合角をどのように説明しているでしょうか.

その前に、軌道のs性(p性)と結合角の関係についておさらいする必要があります.

p軌道は互いに直交(90度)しています.sp混成、sp混成、sp混成では結合角が~109.5度、120度、180ですので、軌道のs性と結合角には以下の関係があることが言えます.

「軌道のs性が上がるに連れて、結合角は大きくなる.」
(軌道のp性が上がるに連れて、結合角は小さくなる.)

具体例を見ていきましょう.再びフルオロメタン(\rm{CH_3F})の登場です.

ベント則に基づき、以下のことが言えるのでした.

\rm{C-F}結合は混成軌道のp性が高い
\rm{C-H}結合は混成軌道のs性が高い

メタン(\rm{CH_4})では全て等価なsp混成軌道ですが、\rm{F}の導入によって状況が変わってしまいました.

\rm{C-F}結合のp性が高いので、結合角が小さくなることが予想されます.\rm{CH_3F}\rm{F-C-H}角は108.2度で、理想的な四面体のもの(109.5度)よりも小さな値を示します.

一方、\rm{C-H}結合のs性が高いため、\rm{H-C-H}角は110.2度と、純粋なspのものよりも大きくなっています.

納得がいきませんか?別の例を見てみましょう.

さて、改めて\rm{H_2O}の結合角がベント則でどのように説明できるか見ていきます.

\rm{H_2O}は2セットの孤立電子対と2セットの\rm{O-H}結合を持っています.前に述べたとおり、孤立電子対は非常に電気的に陽性な元素との結合と考えることができるので、s性が高まります.その分、\rm{O-H}結合ではp性が高まることになります.

その結果、\rm{H-O-H}角は理想的な四面体のものよりも小さくなります.

\rm{H_2O}分子に対して、\rm{O}に結合する置換基を変えてみましょう.

下図に示すとおり、電気的に陰性な元素を置換するほど、結合角が小さくなることが分かります.このように置換基によって結合角が減少する傾向は、VSEPR則からは説明することができません.

分子 結合角
\rm{(H_3C)-O-(CH_3)} 111
\rm{(H_3C)-O-H} 108
\rm{H_2O} 104.5
\rm{F_2O} 103.8

同様の議論は\rm{NH_3}のように\rm{N}を中心とした分子にも適用することが可能です.

まず、\rm{NH_3}分子の結合角が理想的な四面体よりも小さい理由を説明できます.また、\rm{NH_3}\rm{H}\rm{F}に置換することにより、結合角が小さくなります.

ベント則と結合長

ベント則は結合角だけでなく、結合長の大小関係も予測することが可能となります.

再び、軌道のs性(p性)と結合長の関係についておさらいします.

混成軌道において、

  sp > sp > sp

の順に結合長が長いのでした.これはメタン、エチレン、アセチレンの結合長を見れば明らかです.

「軌道のs性が上がるに連れて、結合長は短くなる.」
(軌道のp性が上がるに連れて、結合長は長くなる.)

さて、再びフルオロメタン(\rm{CH_3F})です.

\rm{CH_3F}\rm{C-F}結合では、電気陰性度の高い\rm{F}が電子密度をより自分側に引き寄せます.その反動として、\rm{C}原子近くの電子密度は減少します.

この損失を補うために、混成軌道のs性は他の3つの\rm{C-H}結合の方に移動します.これにより、\rm{C}上の電子密度が増加し、\rm{C-H}結合がより安定になります.すなわち、結合が短くなります.

ジフルオロメタン(\rm{CH_2F_2})には、2つの\rm{F}原子と2つの\rm{H}原子が存在します.

(モノ)フルオロメタン\rm{CH_3F}では3つの\rm{C-H}結合に\rm{C-F}結合からs性を割り振っていたのに対し、ジフルオロメタン\rm{CH_2F_2}では2つの\rm{C-H}結合に対してs性を割り振ります.

このため、\rm{H}に割り振られるs性の合計値が少なくなり、その分\rm{F}に残るs性が高くなります.

結果として、ジフルオロメタンの\rm{C-F}結合長はフルオロメタンのものよりも短くなります.

この傾向は、構造中の\rm{F}原子の数を増やしていっても続き、\rm{F}の数が増えるほど\rm{C-F}距離が短くなることが知られています.

全ての置換基が\rm{F}のみになったテトラフルオロメタンでは、結合が完全にspとなって\rm{C-F}結合のs性が最大となり、結合長も最も短くなります.

\rm{F}ではなく\rm{Cl}\rm{Br}\rm{CH_4}に置換した系でも同様の傾向が見られますが、電気陰性度が\rm{F}よりは小さい分、結合長の変化は小さくなります.

まとめ

さて、具体例をいくつか見てきたところで、Bentの以下の主張も納得できるようになったのではないでしょうか.

”Atomic s character concentrates in orbitals directed toward electropositive substituents.”
「原子のs性は、電気的に陽性な置換基を向いた軌道に集中する」

この一文から演繹して、結合角や結合距離の議論ができるようになります.このような議論はVSEPR則ではできませんでした.

ベント則は豊富な実験データに裏付けられており、計算との矛盾も少ないです.60年以上前に考案された法則ですが、現代においてもその意義は少しも損なわれていません.

たまには原点に立ち返って、自分の扱っている物質が古典的な法則で説明が可能か、あるいは説明できないのであればそれはなぜか、考えてみるのも良いかもしれません.

参考文献

72.Covalent Bonding(18)- Bent’s rule(1). – Madoverchemistry

Bent's rule - Wikipedia