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化学圧力:物理圧力とは異なる「化学的な圧力」の正体

更新 2024-3-5

化学圧力(Chemical Pressure)

地球上の圧力は1気圧( 1.023×10^5 \rm{Pa})程度に保たれています.海に潜れば圧力(水圧)が上昇し、高い山に登れば圧力(気圧)は下がりますが、桁違いには変わりません

言い換えれば、我々は非常に限られた圧力の中に生きており、したがって扱う物質も限られた圧力範囲における性質を見ているに過ぎません.

圧力が増加すれば物質は変形し、圧縮されます.例え堅固な固体であっても圧力の影響を受け、鉄だって力をかければ潰れます.十分な圧力をかければ鉄は磁石ではなくなり、究極的には超伝導体となります.このように、圧力は物質を圧縮するだけでなく、物性を大幅に変えてしまうような場合もあるのです.

それゆえ、物性物理学者にとって物質に圧力をかけた際にどのような現象が生じるかは重要な関心事でした.何の変哲もない物質も圧力下では超伝導体になったり、新しい化合物を形成したり、珍しい相転移を起こす場合があります.

代表的なのは、高圧下で生成した水素化合物が室温近くの温度で超伝導を示すような例です.

このような「外部の力で圧縮する」ような圧力を物理圧力と呼びます.その名の通り、物理的に力をかけることで物質に圧力を与えます.

固体は非常に固いので、生半可な圧力では特に何も起こりません.興味深い現象が観測されるのは、多くの場合数GPa(数万気圧)という桁違いの圧力をかけた場合です.これほどの圧力をかけるのは簡単ではなく、超硬合金やダイヤモンドを使用した大掛かりな装置を使用する必要があります.

しかし、圧力装置は高価であり気軽には購入できません.物理圧力をかけずに圧力をかけて研究成果を出す方法と言えば学生やポスドクに圧力をかけることですが、それ以外の手段はないのでしょうか.

物理圧力と部下への圧力に次ぐ圧力の手段として「化学圧力」が挙げられます.

化学圧力では、物質の組成や形態を制御する「化学的な手段」で物質内部に擬似的な圧力を与えます.物理圧力と違って高価な装置なしに簡便に実験が可能なほか、正・負の両方の圧力(物質の圧縮と膨張)をかけることが可能であり、物質を扱う広範な研究領域で一般的に利用されています.

今回は、一見では物理圧力と全く異なる操作をしながら物理圧力と相補的な役割を持つ「化学圧力」について見ていきます.

化学的な圧力とは?

物質は原子によって構成されており、すべての原子はクーロン力や共有結合といった何らかの結合によって物質中に繋ぎ止められています.とはいえ、全ての原子が同じような「居心地」であるわけではありません.

多くの原子で混雑している場合もあれば、周りの原子が少なくてスカスカな空間も存在します.前者を指して正の化学圧力があると呼び、後者を負の化学圧力があると呼びます.

例として、Ln\rm{FeAs(O,F)}という物質を考えてみます.Lnには\rm{La}\rm{Nd}などのランタノイド元素が入ります.Ln\rm{FeAs(O,F)}は鉄系超伝導体として非常に有名です.

ランタノイドは原子番号が増えるに従ってイオン半径が小さくなります.Lnを変えていった時の他の元素(特に\rm{Fe})の気分を考えてみます.

\rm{La}のように大きなLnである場合は、その分格子が大きくなるため\rm{Fe}は窮屈さから解放されることでしょう.しかし、Lnをどんどん小さくしていくと格子がどんどん縮んでいくため\rm{Fe}にとっては窮屈な環境となっていきます.

すなわち、小さなLnを用いることは格子を圧縮させていくことに相当し、これは物理圧力で行っていることと非常に近いと言えます.

Ln\rm{FeAs(O,F)}に「物理圧力」をかけていくと、ある程度の圧力までは転移温度が上昇し、その後低下します.一方、Lnを小さなものに順次置換していった場合も同様に転移温度の極大値が現れることが示されています.

実際に「化学圧力」によって「物理圧力」と同様の効果があることを示しています.

負の化学圧力

さて、物理圧力は加圧は容易ですが減圧は困難です.物質の周りを真空にすれば大気中よりは圧力が下がりますが、せいぜい1気圧程度しか減圧することができません.

一方、化学圧力では加圧と同じ程度の負圧をかけることが容易です.例えば、先程の鉄系超伝導体Ln\rm{FeAs(O,F)}の例で言うと、出発点をLn = \rm{Sm}にとれば、Ln = \rm{La}を置換することは負の化学圧力をかけていることに相当します.

別の例として、\rm{V_2O_3}という物質があります.この物質は室温では金属ですが、低温で反強磁性絶縁体になる(金属絶縁体転移)ことが知られています.この転移温度は物理圧力をかけることで低下し、2 GPa程度の圧力で消失します.

\rm{V_2O_3}\rm{V}サイトに\rm{Ti}を置換すると、物理圧力をかけた時と同じように金属絶縁体転移が見られます.一方、\rm{V}サイトに\rm{Cr}を置換した場合は新しく磁性のない絶縁体相が現れます.このように、化学圧力を両符号方向にかけることで、物理圧力では到達することのできない相を出現させることができるのです.

Nature communications 7.1 (2016): 1-8. Figure 1b (Open access)

化学圧力をかけるには

化学圧力をかけるための最も簡便な手法は、物質中の元素を置換することです.より小さな元素に置換すれば正の圧力(圧縮させる力)が働き、大きな元素を置換すれば負の化学圧力(膨張させる力)が働きます.

ただし、大きさ以外の化学的性質(価数、電気陰性度など)が大きく異なる元素を用いると物質に与える圧力以外の影響が大きすぎるため、アルカリ金属同士やランタノイド同士など価数や他の性質が大きくは変わらない元素で置換するようにします.また、大きさや化学的性質が違いすぎると、同じサイトへの置換ができない場合があります.

薄膜物質は、基板材料の上に元素を吹き付けて成長させていくことによって化合物を形成します.この際、目的物質は基板物質の土台の形に沿って成長していくため、多かれ少なかれ基板によって格子が歪みます.この際に受ける力も化学圧力の一種です.この際に受ける化学圧力は非常に大きな値にすることができ、結晶構造や種々の物性に大きな影響を与えます.

物質の粒子の表面は、物質の内部とは大きく異なる環境です.表面の原子は表面張力によって表面積を小さくしようとして歪み、一種の化学的な圧力をうけます.このような格子歪みは、粒子の表面の割合が増えるほど大きくなります.特に粒径の小さいナノ粒子では効果が顕著となり、やはりバルク粒子とは異なる振る舞いを示します.

化学圧力と物理圧力の違い

以上のように、物質に圧力をかける手段として物理圧力の他に化学圧力があることが分かりました.あくまで擬似的なものであるとはいえ、正の化学圧力は物理圧力と良い相関を示します.双方にメリット・デメリットがあるので、実験によって使い分けることが肝要です.

(物理圧力の特徴)
  • かけた圧力を定量的に算出できる.
  • 化学置換をしないのでディスオーダーや他の元素の効果を考える必要がない.
  • 高価な装置が必要で、可能な研究機関が限られる.
  • 正の圧力しかかけることができない.
(化学圧力の特徴)
  • 元素を置換するだけなので容易・安価に行える.
  • マシンタイムに縛られず様々な組成で圧力の効果を検証できる.
  • 元素の選択によっては負の圧力をかけることができる.
  • 物質によっては、方向によって異なる符号の圧力をかけることができる.
  • 異なる元素を導入するのでディスオーダーや他の元素の影響を考える必要がある.
  • 物理圧力に比べると加圧可能な範囲が狭い(大きすぎる圧力をかけようとすると物質ができない)

化学圧力を測るには

熱力学的に由緒正しい圧力である物理圧力と比べると、化学圧力の意味するところは曖昧です.格子がどの程度圧縮されたか(膨張したか)を観測することはできますが、圧力の求め方としては間接的です.

では、化学圧力をどのように求めればよいのでしょうか.

Fredricksonらは、密度汎関数理論計算において電子の相互作用を考えることで、化学圧力をエネルギーの体積に対する変化率として定量化する手法を開発しています.この手法によって種々の金属間化合物の化学圧力を計算し、結晶構造の安定性を議論しています.

もっと簡便な手段としては、物理圧力と比較する方法があります.物理圧力と化学圧力による格子の歪みが同等の場合、その際の物理圧力と同等の化学圧力がかかっていると考えるのです.

また、バルク材料における圧力と変形の関係式を化学圧力に適用する方法もあります.化学圧力が弾性変形であることを利用し、フックの法則が適用することで以下の式が導かれます.

すなわち、σを応力、Eをヤング率、εを歪みとして

   σ=Eε

の関係があることを利用し、化学圧力Pの変化率を

    dP = -E\dfrac{dx}{x_0}

と定めることができます.

ここで、\dfrac{dx}{x_0}は格子定数の変化率です.

圧縮された際に圧力が正になることを示すために式に負の符号を付けています.いずれのパラメータも観測可能であるため、化学圧力を定量的に求めることが可能です.

まとめ

物質に圧力をかければ圧縮されます.部下に圧力をかければ萎縮します.

化学的な手法によっても圧力の概念を生み出すことが可能で、化学圧力という用語が広範な領域で使用されています.これは、固体中の無数の元素の一部を他の元素に置換して固溶体を形成することのできる固体ならではの手段です.

化学圧力の特徴は、格子の歪みを化学的な方法で引き起すことです.このため、合成の手段が豊富であり、高価で専用の実験装置を必要としません.物理圧力にはできない負の圧力をかけることができ、物性制御のバリエーションが広がります.実際、化学圧力で物理圧力と同等の現象を起こすことができるほか、物理圧力ではアクセス不可能な相を実現可能です.

ただし、別の元素を置換する場合はディスオーダーや置換元素の影響を考える必要があり、常に圧力だけの効果だけで考えられるわけではありません.やはり双方を相補的に用い、何が本当に起きているかを注意深く観察する必要があります.

今後、さらに強い化学的圧力をかけることが可能な方法が開発されれば、これまでにない興味深い物性を誘起することが可能かもしれません.

参考文献

Chem. Soc. Rev., 2022,51, 5351-5364

Nature 525.7567 (2015): 73-76.

Nature communications 7.1 (2016): 1-8.

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).