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水銀はなぜ液体か

更新 2024-3-3

水銀の不思議

数ある金属元素の中でも、水銀(\rm{Hg}は極めて特異な性質を持ちます.独特な色と光沢から金属とすぐ分かる特徴を持ちながら、常温で液体であるという点が他の金属と大きく異なります.

水銀が温度計やランプ、血圧計などで使用されていたのも昔の話であり、日常生活で水銀を見かけることはほとんどなくなってしまいました.しかし、水銀は液体であるということは誰もが知っています.

では、なぜ水銀は液体なのでしょうか.水銀を初めて知った時に誰もが思い浮かぶ疑問ですが、答えはそれほど単純ではありません.原子や電子の世界にまで考えを及ぼすことではじめてその答えにたどり着きます.

今回は、周期表の金属元素の中でも異彩を放つ水銀の性質について考えていきます.

水銀について

水銀が常温で液体であることは、古来より知られていました.ギリシャ語の Hydrargyrum(水のような銀)、ラテン語のArgentum Viuum(素早い銀)、英語とフランス語のQuick silver、そして日本語の「水銀」はいずれも水銀が自在に動き回る金属であることを反映しています.水銀は他の金属を溶かすことが容易な性質があり、こうしたアマルガム化は紀元前から知られていました.

では、改めて「水銀はなぜ液体なのか」という疑問に戻ります.少しでも化学の知識がある人は、この質問がナンセンスであることを知っています.なぜでしょう.

水銀であっても、マイナス40℃程度に冷やすと固体になります.たまたま日常的な温度では液体であるだけです.また、鉄や銅といった他の金属でも十分に温度を上げれば液体になります.ガリウムやセシウムに至っては、体温程度の温度で液体となります.このように液体の金属というのはさほど珍しい存在ではありません.

それゆえ、科学的に正しい疑問を持つのであれば、「なぜ水銀の融点は数ある金属元素の中でも低いのか」というのが正しいでしょう.

「なぜ低いのか」というのは相対的な話になるので、周期表にある別の元素との比較から始めなければなりません.

水銀と金はなぜこれほどまでに違うのか

周期表の中で近くに位置する元素は一般によく似た性質を持ちます.

一方で、水銀の左隣に位置する金(\rm{Au})と水銀では驚くほど性質が異なります.例えば、水銀の融点はマイナス39℃であるのに対し、金の融点は1064℃です.周期表中で隣り合うペアのうち、これほど融点がかけ離れた組み合わせはめったにありません.密度を比べてみても、金が\rm{19.32\text{ }g\text{ }cm^{-3}}、水銀が\rm{13.53\text{ }g\text{ }cm^{-3}}で大きく異なります.

一方、金の融解エンタルピー\rm{12.8\text{ }kJ\text{ }mol^{-1}}) と水銀の融解エンタルピー(\rm{2.30\text{ }kJ\text{ }mol^{-1}})が大きく異なることとは対照的に、融解エントロピーにはあまり違いがありません(金では\rm{9.29\text{ }J\text{ }K^{-1}mol^{-1}}、水銀では\rm{9.81\text{ }J\text{ }K^{-1}mol^{-1}}).これは、金と水銀で熱力学的な振る舞いがほとんど変わらない一方で、原子同士の結合エネルギー(原子を引き離すのに必要な力)が金よりも水銀ではるかに弱いことを示しています.

金と水銀には他にも大きな違いがあります.金の導電率はあらゆる金属元素の中でもトップクラスであるのに対し、水銀は水銀はワーストクラスに低い導電率を示します.

結晶構造を見ると、金は他の多くの金属と同様に立方最密構造を持ちます.一方で、水銀(もちろん冷やして固体となった状態で)は菱面形に歪んだ結晶構造を持ち、最密構造を持ちません.

このように、金と水銀の性質には大きな違いが見られますが、原子スケールで見れば両者の違いは非常に僅かです.電子配置をみると、

  \rm{Au\text{: }(Xe)(4f)^{14}(5d)^{10}(6s)^1}
  \rm{Hg\text{: }(Xe)(4f)^{14}(5d)^{10}(6s)^2}

このように6s軌道にある電子数が一つ違うだけで、あまりにも大きな変化をもたらすのです.

つまり、水銀はなぜ液体か

水銀の電子配置は、金から電子が一つ増えただけです.電子が一つ増えただけで、どうしてこれほどまでに大きく性質が変わるのでしょう.

気相では、水銀は\rm{Hg_2}のような分子となることができません.しかし、\rm{(Hg_2)^{2+}}のように、\rm{Au_2}と同じ電子配置を持った二量体イオンは非常に安定です.

これは、金の電子配置が化学結合を組むのに適していて、水銀の電子配置では化学結合を組むことが困難であることを示しています.この関係は、1s電子を1つだけ持つ水素が二量体分子を形成することに対して、1s電子を2つ持つヘリウムでは二量体となることが困難であるという関係とよく似ています.

金では、安定化された6s軌道に電子が入ることのできるスペースがあるため電子を引きつける能力が高いです.一方、s軌道には電子は2つしか入ることができないため、水銀の電子配置ではこれ以上s軌道に電子を入れることができません.すなわち、水銀は金のように他の原子と化学結合を組むことができないのです.それゆえ、水銀同士の化学結合は弱く、融点も非常に低くなります.

また、同時になぜ水銀の伝導度が低いのかも説明できます.水銀では「局在」して自由に動けない電子しかないため、電子の伝導が困難です.このように、安定化した軌道が閉殻になっているという状態は、希ガスともよく似ています.

s軌道が閉殻であるという状況は、周期表で水銀の上側に位置する亜鉛やカドミウムでも同様ですが、水銀では相対論的効果やランタノイド収縮で最外殻のs軌道の安定化される度合いが強いため、これらの効果がより際立ちます.

まとめ

水銀は、常温で液体であるという点で不思議な元素です.一方、黄金色を示し電気陰性度が高いにも関わらず反応性に乏しい金も同様に不思議な元素です.周期律から一見して逸脱したように見える重元素の振る舞いは、相対論的効果によって一応の説明が可能です.

資源的に豊富な元素が少ない重金属は、軽元素よりも研究例が少ないのが現状です.また、「重金属」というワードからは主に公害や原子力発電の影響で世間的に良い評判を聞かないのも事実です.相対論的効果によって軽元素とは全く異なる重金属の世界をたまには覗いてみましょう.

参考文献

Journal of Chemical Education 68.2 (1991): 110.

化学教育 1970 年 18 巻 3 号 p. 251-253