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More Is Different: 稀代の大物理学者Andersonが伝えたかったことは何か

更新 2024-3-3

More Is Different

「多は異なり」「量が多いことは質の違いを生む」など様々に訳されます.

素粒子の性質が分かっても原子や分子が集まった物質の性質が分からないように、数が多くなる(More)と様相は全く異なる(Different)ことを端的に言い表した言葉です.簡潔ながら本質を突いたこの一文は非常に多く引用され、現在では物性物理をはじめとした量子多体系の代名詞とも言える言葉となっています.

P. W. Anderson.1977年のノーベル物理学賞受賞者にして、最も創造性の高い物理学者と呼ばれるなど、二十世紀を象徴する理論物理学者です.アンダーソン局在、アンダーソン不純物模型、RVBなど、物理学への貢献は計り知れません.

More Is Different」は1972年にAndersonがScience誌に発表したエッセイのタイトルです.その簡潔さから「More Is Different」の言葉は独り歩きし、物性物理に限らず様々な文脈で使われます.近年では、元々のエッセイの存在を知らない人も増えてきたのではないでしょうか.

「More Is Different」は簡潔で示唆に富む言葉であるからこそ、人によって様々な解釈をされる言葉でもあります.では、そもそもAndersonが伝えたかったことは何なのでしょうか.

天才を超越したAndersonの思考を知ることができるとは思えませんが、原点であるScience誌のエッセイを読み解き、どのような意味で「More Is Different」を主張していたのかを見ていきます.

Anderson, Philip W. "More is different: broken symmetry and the nature of the hierarchical structure of science." Science 177.4047 (1972): 393-396.

More Is Differentが生まれるまで

20世紀中頃は、素粒子物理の華やかなりし時代でした.素粒子物理は物質や宇宙の根源に迫る究極の学問と持て囃され、業界で大きな発言力を持ち、豊富な研究予算を獲得していました.曰く、素粒子物理は全ての根源であり、そこから派生する固体物理や化学は亜流の研究である、と.

当時のAndersonは既に大物理学者の一角であり、素粒子分野にも重要な貢献をしていましたが、関心は物性物理学・固体物理学にあったようです.物性物理学者の同僚が要職に就けず、素粒子物理学者がますます傲慢になる様子を見かね、「More Is Different」の主張に至ります.

物質を対象とする学問も決して素粒子論の亜流ではなく、そこには新しい非自明な物理があることを明確にする狙いがあったようです.

では、「More Is Different」のエッセイではどのような主張がされていたのでしょうか.

More Is Different: broken symmetry and the nature of the hierarchical structure of science.

限局的な研究と広範的な研究

このエッセイは、還元主義者(Reductionist)と呼ばれる人たちについての説明から始まります.還元主義者の主張は、「この世界の全てはある基本法則に基づいて決められている」というものです.

もしそうであるならば、本当に基礎的な研究をしている科学者は素粒子学者や宇宙論者、数学者など一部の限られた人だけということになります.化学や生物学は素粒子からできた物質の研究であるので、基礎的なものとは言えないのです.

Andersonがここで引用するのは、20世紀の物理学者Weisskopfによる一節です.Weisskopfによると、20世紀の科学は2種類に分類でき、一方を限局的な(intensive)研究、もう一方を広範的な(extensive)研究とみなします.

限局的な研究とは基礎法則の探究を目指すもの(素粒子物理、数学など)であり、広範的な研究は基礎法則を用いてもっと大規模な現象の解明を目指すもの(固体物理学、生物学など)です.

基礎研究と言えどもこのような2つの側面があり、新しい基本法則が発見されるとその法則を適用するための広範的な研究が次々と起こるのです.この考えの下では、化学や生物学は、素粒子物理学のような限局的な研究を用いた応用研究であるとみなされがちです.

Andersonの反論

しかし、Andersonはこの考えを否定します.

全てを単純な基本法則に還元できるからといって、その法則から出発して宇宙の全てを解き明かすことができるわけではありません.基本法則から全てを導けるという構築主義者(Constructionist)的な考えは系のスケールを大きくすると容易に破綻し、むしろ全く異なる性質が現れることが分かったのです.

数個の粒子を扱う素粒子物理学、より多くの粒子を扱う化学、さらに多くの粒子を扱う惑星物理学では全く異なる法則や概念が必要であり、前の段階と同程度に基礎的な問題が発生します.心理学は生物学の応用ではないし、生物学は化学の応用ではなく、化学は素粒子物理の応用ではないのです.

Andersonの専門である固体物理学(物性物理学、あるいは他体系物理学)は、まさに「量的な違い」が「質的な違い」に変わることを明らかにする学問でした.このような「対称性の破れ」の理論は、構築主義的な考えを否定するものです.

Andersonは、単純なアンモニア分子を例として「量的な違いによる質的な違い」がどのようなものであるかを説明します.

アンモニア分子と対称性の破れ

アンモニア(\rm{NH_3})は窒素に水素が3つ配位した分子であり三角錐形の構造を持ちます.化学の講義で習ったとおり、窒素は負に、水素は正に帯電して分子は電気双極子モーメントを持ちます.

しかし、原子核物理学の講義では「電気双極子モーメントを持つことはできない」と教えられていたはずであると回想します.何が間違っているのでしょう.

答えは「定常状態」では電気双極子モーメントが存在しないということです.ある瞬間ではアンモニアは三角錐形ですが、その状態に長くとどまっていることはありません.トンネル効果によって三角錐は超高速で反転を繰り返しており、定常状態は三角錐とその逆との等しい重ね合わせであって双極子モーメントを持たないのです.

物理学によれば、系の状態が静止している場合、空間を支配する運動法則と同じ対称性を常に持っていなければなりません.アンモニアの分子構造は左右非対称ですが、空間の等方性を維持するためには、高速で反転することによって対称的な定常状態を作り出す必要があったのです.

アンモニアよりも重い原子からできた\rm{PH_3}でも反転は起こりますが、頻度はアンモニアよりも減ります.もっと重い\rm{PF_3}では反転は観測できませんが、理論的には起こりうることが示されています.

しかし、スクロースのようなもっと複雑な分子では様相が異なります.分子が自ら反転することはもはや叶わず、宇宙の年齢が経っても反転は起こりません.もはや対称性の法則を考えることに意味は無いでしょう.大きな分子になることによって、対称性は(消えたのではなく)破られたのです.

一方で、熱平衡状態のスクロースは右手系のものと左手系のものが同数存在しています.宇宙の法則が乱れているわけではありません.分子が自由に動くことのできる集合体では、依然として対称性の法則は破られません.

さらに大きな原子の集合体では、個々の原子では見られなかったような新しい特性が見られるようになります.焦電性、圧電性、強誘電性などはその代表です.双極子モーメントが物質内にあり、逆向きのモーメントを持つ状態も存在はしているはずですが、自発的に移り変わることが不可能なため対称性の破れた状態が実現します.

量的な違いから質的な違いへ

以上の観測事実を基に、Andersonは3つの推論を得ます.

1:物理学において対称性が非常に重要な役割を担っていること.
2:物質の全体構造が対称的であっても、その内部構造は対称である必要がないこと.
3:充分に大きな物質では、空間を支配する法則が持つ対称性を持たないことが多いこと.

三つ目の推論の顕著な例は結晶です.原子が規則正しく並んだ結晶は固有の対称性を持ちますが、空間全体の均質な対称性よりは劣ります.このような特殊なフィールドでは、時として思いもよらない現象が観測されます.超伝導、強磁性、強誘電、液晶はいずれも結晶の持つ対称性が「破れる」ことで起こる非自明な現象です.

ここでは、粒子数が莫大な系において特異な「相転移」が起こっており、少数の粒子の系では本質的に起こり得ません.全体が部分の総和を超えるだけでなく、非常に異なったものになることが分かります.

さらに対称性を下げると何が起こるでしょうか.

Andersonの推論では、一見では均質だけれどもある種の「情報」を持つ系がそれにあたります.完全に均質では情報を持てません.パンチカードやフィルム、DNAのように均質さの中にわずかな固有の違いを入れることで情報を持つことが可能です.生命の誕生には「情報」を持つことが必要であると考えられていますが、それだけで十分であるかは分かりません.生命現象にはいずれも時間的な規則性があり、声のように時間的に周期的な伝達手段を用いていることから、時間次元における対称性も重要であるとも考えられています.*1

対称性を落とす過程で複雑性が増し、ある段階で科学は階層を変えて質的に異なる分野に移ります.各階層では全く新しい原理が顔を出し、それぞれにおいて異なる基礎的な問題が生じるのです.各階層で培われた知識は他の階層の学問の理解にもつながります.

これは決して一方通行ではありません

物理が生物学の理解につながることは確かですが、生物学における遺伝学や生化学が物理学に大きな影響を与えることも決して珍しいことではないのです.一方の分野だけを発達させても別の分野を完全に理解することにはつながりません.

Andersonは素粒子物理学者が傲慢になる様子を見てきました.

それはもはや過去のことなのかもしれませんが、今でも数学者が物理学者に傲慢になることや、化学者が生物学者に傲慢になるシーンがなくなったわけではないと思います.しかし、階層の異なる研究分野では、それぞれのレベルにおいて全く新しい概念構造が必要とされており、決して分野の延長ではたどり着けない領域が存在するのです.

まとめ

Andersonは、自身の主張を代弁する2つの文言を引用します.

資本論で有名なマルクスは「量的な違いが質的な違いになる」(quantitative differences become qualitative ones)と言いました.

1920年代のパリでの対話は、主張をさらに的確に要約しています.
フィッツジェラルド:金持ちは我々とは違うんだ.
ヘミングウェイ: そう、彼らはもっとお金を持っている.

お金が多いか少ないかの違いなのにね.

参考文献

Anderson, Philip W. "More is different: broken symmetry and the nature of the hierarchical structure of science." Science 177.4047 (1972): 393-396.

Strogatz, Steven, et al. "Fifty years of ‘More is different’." Nature Reviews Physics 4.8 (2022): 508-510.

「もっとも創造性の高い物理学者」フィリップ・アンダーソン氏逝く - 高橋真理子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

*1:このあたりの段落は正直何言ってるのかよく分かりません😂