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ナノシート:原子を剥がして創る究極の二次元物質

更新 2024-3-2

ナノシート(Nanosheet)

人類はナノスケールの物質を観察するだけでなく、それらを自在に操る術まで見出しつつあります.ナノテクノロジーを筆頭に、「ナノ」はすっかり市民権を得た言葉となりました.ナノマシンやナノ医療などの言葉を聞いたことがある人も多いと思います.ナノスケールの大きさの物質を用いることで、分子スケールの問題をダイレクトに処理することが可能になります.

ナノシートとは、ナノスケールかつシート状の物質を意味します.シート状(板状)であるため、厚さがナノメートル(nm)レベルかつ横方向の長さが厚さの数倍から数千倍の大きさを持ちます.定義はこれだけであるため、非常に多くの種類の物質がカテゴリに含まれます.

グラフェンは代表的なナノシートであり、炭素原子1つ分の厚さしか無い世界一薄いシートです.唯一無二の分子物性、熱伝導、強度を併せ持ち、発見から30年が経過してなお研究の最前線にある物質です.

グラフェンは黒鉛の機械的な剥離によって調達が可能です.遷移金属カルコゲナイド(TMD)や六方晶 \rm{BN}も同様の特徴を持ち、これらはいずれも電気的に中性です.

層状の無機物質から剥離することで得られる数ナノメートル以下の薄層または単層もナノシートであり、触媒や電極材料として優れた性能を示します.最も有名な無機ナノシートと言えば、粘土でしょう.イオン結晶の酸化物から剥離するので、こうした無機ナノシートは正または負の電荷を持ちます.

ナノシートは究極の二次元材料であり、三次元材料とは大きく異なる性質を示します.合成方法や評価方法も一筋縄では行きません.

今回は、そんなナノシートの世界を覗いてみます.

原子を剥がして作るナノシート

剥離型無機ナノシートは、無機層状結晶を剥離して得られる単層または数層程度のシートです.炭素やリンといった単分子から酸化物や窒化物まで、多種多様な種類の無機化合物でナノシートを形成することが可能です.

三次元結晶を剥離しているので、ナノシートの結晶構造はもとの三次元結晶の構造を反映します.特に単層シートは厚さ 1 nm 程度と非常に薄く、無機結晶として究極の薄さを実現します.

ナノシートは一般的に剥離前の結晶構造・物性を反映しますが、剥離前・剥離前の光学的性質、化学的性質、磁気的性質は多かれ少なかれ変化します.

鉄鋼を変形させるのは困難ですが、鉄の薄いシートは容易に曲げられます.同様に、三次元結晶は固く密な構造ですが二次元状のナノシートは軟らかく、曲げたりシワやたわみを付与することができます.構造の柔軟性ゆえに、シートを積み重ねたり、好きな形に集合させたりすることもできます.

ナノシートは三次元物質に比べて体積に対する表面の割合が大きいため、表面特性も重要な性質となります.親水性や疎水性といった違いのほか、表面官能基の選択肢も豊富で、多くのナノシートは表面を化学修飾することで特性を制御することができます.

粘土

無機ナノシートとして最も身近な材料といえば粘土でしょう.

スメクタイト族粘土鉱物は負電荷を帯びた酸化物層がナトリウムなどのカチオンで分断された結晶構造を持っています.

層間のカチオンは電離しやすく、粘土鉱物は層間に大量の水を取り込んで層同士が分離されます.層はコロイドと呼ばれる大きな粒子として振る舞い、マクロには粘土がドロドロの状態になります.このとき、層状の結晶構造は失われ、各層はバラバラに水中に分散しています.この状態がナノシートです.

ナノシートの歴史

ナノシートの歴史はメソポタミア文明の粘土板、あるいはそれ以前にまで遡るかもしれませんが、その原子レベルの理解が進んだのは20世紀に入ってからです.粘土と有機物の複合体の研究が進み、層間に異種元素を挿入する「インターカレーション」の概念が広がりました.

インターカレーションの概念は電気化学分野にとって重要で、特にリチウムイオン電池の完成に大きな貢献をしています.粘土鉱物の他にも、層状酸化物であるチタン酸塩やニオブ酸塩、リン酸塩、層状複水酸化物(LDH)の研究も進みました.これらの物質では、剥離試薬と呼ばれる有機カチオンを層間に導入し、溶媒の力を借りてナノシートを剥離することが可能でした.

1994年はナノシートにとって歴史的な年でした.2つの研究グループが独立して発表した論文は、剥離によって得られたナノシートを他の有機試料と交互に再積層させて新しい機能材料を生み出そうとする試みであり、ナノシートの剥離現象そのものではなく機能性に焦点を向けた研究が進められることになります.

さらに、2004年のグラフェンの発見は無機ナノシートの研究にも大きな影響を与えました.それまでのナノシートは主にイオン結合性の酸化物であり、溶液中でのみ剥離が可能です.対してグラファイトから得られるグラフェンは中性であり、クーロン力ではなく分子間力によって積層しています.その後、同類の材料として金属カルコゲナイド、窒化ホウ素、リンなどの材料のナノシートが報告されています.

ナノシートは、母体の結晶的性質と剥離方法によって分類されます.

古典的なナノシートは母体がイオン結合的な酸化物であり、層をクーロン力でつなぎとめているイオンをかさ高い有機イオンで置換することで層を分離し、ナノシートを生成します.これらのイオン交換性結晶は、さらに層間のイオンがカチオンであるかアニオンであるかによっても分類されます.

非イオン交換性結晶は、極性および非極性物質に分けられ、特に後者はグラファイトの例のように無機層がファンデルワールス相互作用によって互いに結合しています.

ナノシートの性質と利用

剥離したナノシートを構成要素として、様々なナノ構造体を作製することができます.ナノシートと相互作用する基盤や材料と組み合わせることで、通常の合成法では得ることの難しい集積構造を形成することが可能です.

例えば、ナノシートを基板に塗布し、溶媒を飛ばすことで薄膜上に積層させます.ナノシート同士や基板との相互作用によりナノシートは基盤に対して規則正しく積層し、結晶方位の揃った配向膜を得ることができます.

また、異なる種類のナノシートを好きな順番で積層させたり、ゲスト分子をナノシートの間に挟んで積層させるなんて芸当も可能です.これらの方法により、様々な機能が複合化した薄膜デバイス(光触媒、電極材料、蛍光材料、細孔材料など)が開発されてきました.

基板としてのナノシートの利用

ナノシートは固体では多層状態で存在しますが、基本単位は一枚のナノシートです.

ナノシートをホストとしてゲスト物質を取り込むことを考えた場合、ナノシートは原子レベルで平坦な表面を持つというユニークな特徴があります.剥離したナノシートは安定かつ透明であるため、ゲスト分子の基礎科学的な観察に適した存在です.

ゲスト分子とナノシートの相互作用はナノシートの種類によって制御が可能で、ナノシートの電荷密度によってゲスト分子の吸着挙動にも直接影響を与えます.

ナノシート表面上の単一分子は、溶液中の最も安定な構造とは異なる分子構造を持つことがあります.ナノシートとの複合体形成により、ゲスト分子の吸収や発光などの光化学的特性が劇的に変化することが報告されています.

二次元空間としてのナノシートの利用

ゼオライトやMOF、フラーレンなどのような材料では、巨大なナノ空間における分子の選択的な脱吸収、触媒反応、外界から隔絶された反応場としての利用が盛んです.ナノシートの積層によって、同様に二次元的なナノ空間を作り出すことが可能です.

ナノシートでは、二次元空間の高さや極性を柔軟に調整することができます.これにより、特定の分子のみを高い選択性で認識する吸着剤としての利用のほか、立体特異性の高い構造の分子を選択的に合成することもできます.ナノシート間の分子には縦方向に大きな圧力がかかり、それによる発光特性の違いも観測されています.

また、ナノシートの二次元性により、エネルギー、電子、および分子の移動の方向を面内方向に制限することができます.この機能を利用することで、電極材料、強誘電体、電界効果トランジスタ、強磁性体、磁気光学材料などへの応用が期待され、多くの機能性ナノフィルムが作製されています.

表面としてのナノシートの利用

ナノシートの最も重要な特徴は、構成要素の全てが表面であることです.ナノシートの内部空間は全て外気にさらされており、表面積が非常に大きくなります.このため、ナノシートは吸着剤、触媒、電極など表面積に依存した機能を持つ材料が必要とされる場面で応用されてきました.

ナノシートは表面吸着剤として機能し、電子密度や電荷、疎水性を変えることによって吸着種を自在に制御することができます.例えば、放射性物質を選択的に除去したり、医薬品を効率的に体内に取り込む用途が期待されています.

触媒反応は表面反応であるので言わずもがな表面積が重要であり、昨今では光触媒の分野でも大いに活用されています.電極材料についても、グラフェンを筆頭にナノシートが活用されています.

代表的なナノシート物質

粘土(スメクタイト) \rm{(Na,Ca)_{0.33}(Al,Mg)_2Si_4O_{10}(OH)_2 · nH_2O}など

小さい頃に遊んだ記憶のある粘土も立派な無機結晶です.

粘土鉱物は、構造中に頂点共有の \rm{SiO_4}四面体と辺共有の \rm{(Al,Mg)(O,OH)_6}八面体からなる層を含み、アルカリ金属や格子水によって分断されています.その結晶構造ゆえ、水を吸収すると膨らむ性質および高いイオン交換性を示します.

天然の層状ケイ酸塩である粘土鉱物はどこでも手に入り、安価であるため、イオン交換性や吸着性に注目した利用がされます.

層状酸化物

カチオン交換性の酸化物は、多くの場合ナノシートへの剥離が行なえます.層状ペロブスカイト酸化物は頂点共有した M\rm{O_6}八面体からなる層を、ケイ酸は頂点共有した \rm{SiO_4}四面体を、リン酸は \rm{PO_4}四面体を含みます.

これらのユニットはマイナスの電荷を持ち、対応するカチオン(主にアルカリ金属やプロトン)が層間に入ることで電気的中性条件を満たします.通常、水に入れただけでは剥離は起こらないので、有機カチオンからなる剥離剤を使うことでナノシートを形成します.

層状複水酸化物(LDH)

LDHは、 \rm{(Mg,Al)(OH)_2[OH nH_2O}などの組成をもつ水酸化物であり、酸化物としては珍しく陰イオンの交換能を示します.結晶構造は正に帯電した二次元酸化物層と負に帯電した中間層からなる層状構造を持ちます.

層間の陰イオンは様々な有機・無機アニオンと交換することが可能であり、場合によってはDNAなどの巨大な有機アニオンを取り込むことができます.

グラフェン

黒鉛でおなじみのグラファイトは炭素のハニカム層が重なった構造を持ちます.グラフェンは、この炭素層を1層だけ取り出すことで得られるナノシートです.Andre GeimとKonstantin Novoselovは黒鉛をセロテープで剥離するという驚きの方法で単層グラフェンを剥離し、黒鉛とは全く異なった電子的機能を見出しました.

グラフェンは、極めて移動度の高い電子、優れた熱伝導性、強度を持つなど唯一無二の材料で、現在もなお研究の中心です.特に、グラフェンを少し角度を変えて2層積層させることで超伝導が現れたという発表は業界を熱狂させ、ツイストロニクスという言葉も生まれました.

遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)

 \rm{MoS_2} \rm{WTe_2}など、遷移金属とカルコゲンの組成比が1:2である化合物です、遷移金属はカルコゲンに八面体配位された層を形成し、層はファンデルワールス力によって結合しています.グラフェンと同様に単層の剥離が可能です.

TMDは元素の選択肢が豊富で、組成に応じた多種多様な物性を示します. \rm{MoS_2}は特に研究が盛んで、グラフェンとは異なり半導体的な挙動を示すので、新しい半導体デバイスとして注目されています.

MAX相

 M_{n+1}AX_nの組成で表される炭化物あるいはホウ化物であり、辺共有した MX_6八面体層がAカチオンによって分断された構造を持ちます.元素の選択肢が豊富で、組成に応じて高い電気および熱伝導性、熱衝撃耐性、損傷耐性、加工性、高い弾性剛性、および低い熱膨張係数を示します.

その他

黒リン、酸化グラフェン、ポリオキソメタレートなどが知られています.

まとめ

無機結晶を剥離することで三次元物質の構造・物性を維持した2次元物質を得ることが可能です.母体の種類に応じてナノシートの研究も進展し、現在では様々な無機層状結晶の無機ナノシートが報告されています.丈夫な三次元結晶もナノシートになることで柔軟性を持つソフトな材料に生まれ変わります.

ソフトな特性によってナノシートは様々な材料と複合化することが可能で、ユニークな二次元空間を提供します.また、ナノシートはそれ自体が高い表面積を持つ高機能材料であり、触媒や電極としての利用も盛んです.

特に積層可能というメリットは重要で、半導体と磁性体を組み合わせたデバイス、積層の角度という自由度を利用したツイストロニクス、界面で空間反転対称性が破れることを利用した新現象など、ナノシートに関する研究熱は冷めるところを知りません.

参考文献

Science, 1994, 265.5170: 370-373.

Journal of the American Chemical Society, 1994, 116.19: 8817-8818.

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化学と教育 2008 年 56 巻 11 号 p. 552-553

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結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).