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遷移金属ダイカルコゲナイド:三次元と二次元の両方の側面を持つ物質

更新 2024-3-5

遷移金属ダイカルコゲナイド(Transition metal dichalcogenide, TMD)

長ったらしい名称ですね.その名のように複雑な物質なのでしょうか.結晶構造を見ると、意外にもシンプルな層状構造を持っています.この層状構造を活かし、近年、原子一層だけを取り出すことが可能な二次元材料として期待されている物質群が遷移金属ダイカルコゲナイドです.

TMD

2004年、グラファイトの単結晶から原子一層だけを剥離した物質(グラフェン)が報告されました.グラフェンはこれまでにない二次元物質特有の機能を示し、二次元物質への関心が世界的に高まりました.そうなると、他にも二次元的に剥離が可能な物質がないものかと目され、新しい材料が続々と報告されます.

数ある二次元材料の中でも特に有力であったのが遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)です.その名の通り、遷移金属とカルコゲン(16族元素)から構成され、MX_2の一般式を持つ層状物質です.層間はファンデルワールス力によってゆるく束縛されています.

TMDは、元素や形態の違いによって多種多様複雑怪奇な物性を示し、様々な分野で活躍しています.金属にも半導体にもなり、超伝導、触媒、光触媒、電極、発光材料、スピントロニクス、医療材料、磁性材料など、その活躍分野はとどまるところを知りません.ニュースなどでその名を聞くことも増えつつあります.

今回は、遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)について紹介します.

遷移金属ダイカルコゲナイドの歴史

そもそもTMDは歴史の長い材料です.TMDの代表である\rm{MoS_2}は天然鉱物の輝水鉛鉱(モリブデナイト)であり、グリスやオイルに添加される潤滑剤として使用されていました.TMDには様々な物質が属し、その基礎物性も古くから知られており、1969年にはTMDに関する総説が書かれています.[1]

これらの材料は細々と研究されていましたが、スター物質とまでは言えませんでした.

そんなTMDが特に注目されるきっかけとなったのがグラフェンの発見です.原子一層分の厚さしか無いグラフェンの電子構造は一般的な三次元材料とは大きく異なり、ディラック電子や量子ホール効果など新しい物性物理の端緒となりました.

層状物質であるグラファイトからグラフェンが剥離できたように、他の層状物質からも原子層が剥離できると考えるのは自然な発想です.TMDは、元素の違いによって60種類以上の物質が報告されており、結晶構造にもいくつかの種類があります.これだけの自由度があれば、望みの物性にチューンすることも自由自在です.

以下では、TMDの結晶構造から始まり、合成法や物性・機能について見ていきます.

遷移金属ダイカルコゲナイドの結晶構造

TMDは、その名の通り遷移金属と2つのカルコゲン(16族元素)から構成される物質で、MX_2の組成を持ちます.遷移金属としては主に4族、5族、6族の金属が該当し、\rm{Pt}\rm{Pd}などの一部貴金属も含まれます.カルコゲンとしては、硫黄(\rm{S})、セレン(\rm{Se})、テルル(\rm{Te})が含まれます.

MX_2の組成を持つ物質のうち、特に層状構造を持つ物質がTMDと呼ばれ、パイライトのように別の結晶構造を持つものはTMDとは呼ばれないことが多いです.)

遷移金属とカルコゲンの結合は形式的にはイオン結合とみなすことができ、遷移金属は4価のカチオン、カルコゲンは2価のアニオンとみなすことができます.しかし、実際には共有結合的な寄与も十分に大きく、完全なイオン結晶ではないようです.

層間のカルコゲン同士は弱いファンデルワールス力によって結合しています.この弱い結合により、各層を個々の層に剥離する事が可能となります.また、層間に他の元素を入れることもできます(インターカレーション反応).

TMD

遷移金属は6つのカルコゲンに配位されており、八面体型の配位をするものと三角柱型の配位をするものの二種類があります.4族金属を含むと八面体型になりやすいようです.5族金属では八面体が多いですが一部は三角柱型となり、反対に6族金属では三角柱型が多いです.また、7族金属では歪んだ八面体型、10族金属では八面体型となります.

これらの結晶構造の違いにより、それぞれの結晶構造に\rm{1T, 2H, 3R}と名前がつけられています.アルファベットは結晶構造の対称性を表し、\rm{T}は三方晶(Trigonal)、\rm{H}は六方晶(Hexagonal)、\rm{R}は菱面体晶(Rhombohedral)を意味します.数字は、単位胞に含まれる層の数を表します.

その他、歪んだ配位構造を持つTMDも知られています.

遷移金属ダイカルコゲナイドの物性

剥離する前の三次元構造を持つTMDも様々な物性を示します.以下はその例です.

電荷密度波(Charge density wave, CDW)

電荷密度波とは、結晶構造に周期的な歪みが生じる現象です.主に低次元構造を持つ物質で現れることが知られており、二次元構造を持つTMDでも見られます.例えば、\rm{TaS_2}は550 K以下の温度で星型の超周期構造が現れます.

巨大磁気抵抗

磁気抵抗とは、物質に磁場をかけた際に電気抵抗が変化する現象です.通常の物質ではたかだか数%程度しか電気抵抗が変化しませんが、\rm{WTe_2}\rm{MoTe_2}は数千万%に達する極めて大きな電気抵抗の変化が見られます.これらの物質の特殊な電子構造に由来するものと考えられています.

ワイル半金属

あたかも質量をもたないかのように振る舞う「ディラック電子」が物質中を高速で移動する物質が注目されています.こうした質量ゼロの電子を持つ物質としてワイル半金属という状態が予言されていましたが、TMDに属する\rm{WTe_2}\rm{MoTe_2}がワイル半金属の一種であることが発見されました.

超伝導

超伝導は、物質の電気抵抗がゼロになる現象として知られていますが、TMDにも超伝導体がいくつか知られています.常温で超伝導を示すもの、高圧下でのみ超伝導を示すもの、あるいは層間にイオンを挿入することで超伝導体となるものなど様々です.

二次元TMD

通常の方法で得られたTMDは層状構造を持つものの、層と層がゆるくつながっている三次元構造を持ちます.一方、種々の方法で層を一枚一枚剥離し、原子一層分だけを得ることも可能です.

バルクのTMDをテープで一枚一枚剥がす方法、溶液を用いる方法、電気化学的な反応を用いる方法、あるいは化学気相成長法を用いて原子一層を直接合成する方法などが知られています.得られた原子層は原子間力顕微鏡(AFM)やラマン分光法を用いて膜厚を決定します.

バルクのTMDから原子層を少なくするにつれて結晶構造、電子構造、物理特性、発光特性などに大きな変化が生じます.以下ではその例を見ていきます.

バンド構造の変化

バルクの\rm{MoS_2}は間接遷移型のバンド構造を有する半導体です.間接遷移型の半導体は光を当てた際の発光強度が弱いことが知られています.一方、原子層の\rm{MoS_2}を取り出すと直接遷移型の半導体へと変化し発光強度が増大することが発見されました.また、この際に量子閉じ込め効果によってバンドギャップが大きくなります.

フォトルミネセッンス

物質に光を照射し、励起された電子が基底状態に戻る際に発光する現象をフォトルミネッセンスと呼びます.TMDでは単層にすることで間接遷移型から直接遷移型の半導体へと変化し、フォトルミネッセンス強度が劇的に向上します.

励起子の束縛エネルギー

励起子(エキシトン)とは、励起された電子と正孔がクーロン引力によって結合した状態です.一般に半導体では、電子と正孔のクーロン相互作用が小さく、励起子の半径が格子間隔よりもはるかに大きくなることが知られています(ワニエ励起子).ワニエ励起子は質量が小さく、電子と正孔の結合エネルギーが小さいとされていますが、2次元TMDでは結合エネルギーがそれよりも1桁以上大きいという特徴があります.

磁気特性

バルクの\rm{MoS_2}は非磁性の半導体ですが、単層の\rm{MoS_2}を取り出すと強磁性を示すことが発見されました.すなわち、単層化によって磁気特性にまで変化が起こります.この強磁性は結晶欠陥が存在することによって現れるとされています.

その他、センサー、触媒、生物医学などの用途の報告があります.

まとめ

TMDに関する報告は増え続けています.2015年のNatureの論説では「毎日6報のTMDに関する論文が出版されている」と言われており、その数は現在ではもっと多いことでしょう.組成、層の数、合成方法、圧力や歪みなど制御可能なパラメータが非常に多いことから、可能な実験は無数にあります.[2]

既にトランジスタ、光起電力デバイス、レーザーなどの発光デバイス、メモリーセル、センサー、NEMS、集積回路などが2次元TMDを用いて作製されています.また、メモリ、触媒、センサーなどの実用科学的な興味から、超伝導やディラック電子などの基礎科学的な興味まで、あらゆる分野でその姿を見つけます.

これほど多くの分野で活躍する物質群もなかなかないでしょう.

いつか全てがTMDで構成されたコンピューターを開発することも(もしかすると)可能かもしれません.

参考文献

Kolobov, Alexander V., and Junji Tominaga. Two-dimensional transition-metal dichalcogenides. Vol. 239. Springer, 2016.

Manzeli, Sajedeh, et al. "2D transition metal dichalcogenides." Nature Reviews Materials 2.8 (2017): 1-15.

Chowdhury, Tomojit, Erick C. Sadler, and Thomas J. Kempa. "Progress and prospects in transition-metal dichalcogenide research beyond 2D." Chemical Reviews 120.22 (2020): 12563-12591.

[1] J. Wilson, A. Yoffe, The transition metal dichalcogenides discussion and interpretation of the observed optical, electrical and structural properties. Adv. Phys. 18(73), 193 (1969)

[2] Gibney, Elizabeth. "2D OR NOT 2D." Nature 522.7556 (2015): 274-276.

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).