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リンの同素体:自然発火物から難燃剤まで

リン(Phosphorus)

リン\rm{P})は原子番号15、周期表で窒素のすぐ下に位置する典型元素です.

「リン」と聞いてまず思い浮かべるのは、畑に撒くリン酸塩の肥料や、マッチ箱の側面をこすって火を出す安全マッチかもしれません.一方で、外殻に5つの価電子を持つために多様な共有結合様式を取ることのできるリンは、単体の中でも原子の配列や結合様式の異なる複数の姿があります.

すなわち、リンには同素体(allotrope)が複数存在します.

同じ「リン」であっても、同素体に応じて安定性・反応性・色・機械的性質・電子構造が大きく異なり、それぞれ全く別の応用先があります.

リンとその同素体

リン原子の際立った特徴は、3価の結合原子価と孤立電子対の存在、さらに比較的緩い\rm{P–P}結合エネルギーがもたらす柔軟性です.これにより、炭素には及びませんが、数ある元素の中でも特に自由な原子間結合を形成できます.

炭素が4つの結合の手を伸ばしてネットワークを形成するように、リンでは3つの手が主役です.例えば、4つのリンからなる\rm{P_4}四面体のように、他の3つのリンと通じたユニットが白リンで見られます.赤リンや黒リンでは高分子のように広範囲につながったリンのネットワークが現れます.

以下では、これらリンの同素体を詳しく見ていきます.

白リン(White phosphorus)

白リンはリンの同素体のうち、分子性の\rm{P_4}四面体ユニットが集合してできる固体物質です.外観は白〜淡黄色で、空気中で自然発火するため、保存は必ず水中で行います.毒性が非常に高く悪名高き物質として知られます(後述).

なお、黄リンはかつて化学の教科書に記載されていましたが、これは不純物を含み黄色みがかった白リンのことであり、正式な同素体ではありません.

化学的特徴

\rm{P_4}四面体分子を基本とする分子性結晶です.各\rm{P–P}結合は比較的短く、結合角は 60° と小さいため、構造ひずみが大きく、高い反応性の一因となります.また、各リン原子は孤立電子対を持ち、酸素やハロゲンといった酸化剤に対する反応性が高いです.

その高い反応性に由来し、白リンは空気中に置くだけで徐々に酸化され、最終的に\rm{P_4O_{10}}などの酸化物を生成します.強塩基や還元剤と反応すると有毒なホスフィン(\rm{PH_3})などの揮発性/毒性ガスを生じる可能性があるため非常に危険です.

無極性であるため水には溶けません.酸素からも遮断できるため、通常は水中に保存します.

利用

白リンはかつて、摩擦で容易に発火する性質を利用してマッチの材料として使われました.しかし、猛毒の白リンによる中毒はマッチ工場を蝕み、リン中毒性顎骨壊死の蔓延など深刻な被害が発生しました.このため、赤リンを用いた安全なマッチへの置き換えが進み、その後は民生の使用例はほとんどありません.

例外は兵器としての利用です.白リンを弾薬として用いるのです.先程、白リンは空気中で発火することを述べました.この白リンが皮膚に付着したらどうなるのでしょうか.少なくとも火傷はしそうですが、それだけでは済みません.

骨に到達するまで肉を焼き尽くします.吸い込めば、肺の内側から、体の中を焼き焦がします.

当然、水をかけただけでは進行は止まらず、皮膚ごとリンを洗い流さなければなりません.また、炎だけでなく、猛毒の白リンが皮膚から取り込まれ、臓器を汚染します.また、白リンの酸化により生成した\rm{P_4O_{10}}の粒子は、呼吸器に強い刺激を与えます.

白リンはこれほどに残虐な非人道兵器ですが、驚くことに戦場では未だに使用されています.例えば、イラク戦争におけるアメリカ兵や現在進行系のガザ攻撃におけるイスラエル兵などが使用し、民間人に被害が及んでいます.

外務省: 最近のガザ情勢について

白リン弾の使用禁止に関する質問主意書:質問本文:参議院

赤リン(Red phosphorus)

赤リンは、白リンの光・熱転移により得られる高分子状・ネットワーク状の物質です.常温常圧で空気中で安定で、白リンとは異なり自発発火しません.毒性も小さいため、実用的用途が広いことが特徴です.

構造は短い鎖状・網目状の\rm{P–P}結合が複雑に絡み合った非分子性のネットワークで、結晶性と無定形な領域が混在することが多いです.ゆえに混合物とみなせるため、同素体(単体のみ)ではないのではないかという話もあります.

化学的特徴

リン原子は主に3配位で\rm{P–P}単結合を取り、四面体(\rm{P_4})ではなく非分子性ネットワークを作るため、白リンに比べて歪エネルギーが小さく熱的・化学的に安定です.それゆえ白リンのような爆発的な反応性はありません.

それでも強い条件では化学反応を起こし、種々の酸化物、ハロゲン化物が生じます.白リンと同じく無極性で、水には溶けません.

利用

白リンの危険性(自発発火、高毒性)に代わる安定形とみなすことができます.そのため、白リンの後継としてマッチの主剤として使用されます(安全マッチ).

また、赤リンを熱するとリン酸系の酸性種を生じ、表面で炭化層を形成して熱・酸素を遮断できるため、難燃剤としての利用もあります.自然発火する白リンとはここでも対照的です.

その他、NAS電池などの電池材料としても注目されています.

紫リン(Violet phosphorus, Hittorf’s phosphorus)

紫リン、別名ヒットルフリン(Hittorf’s phosphorus)は、赤リンを加熱昇華・再結晶することで得られる結晶性のリンです.赤リンと黒リンの中間的な性質を示し、学術的には赤リンの「結晶化した形態」と位置づけられることが多いです.

化学的特徴

結晶構造は単斜晶系に属し、リン原子は鎖状に結合し、その鎖が空間的に複雑に絡み合った結晶ネットワークを形成しています.空気中で比較的安定なものの、強酸化条件では酸化物を形成します.また、高温高圧下では後述の黒リンへと転移します.

利用

白リンや赤リンに比べ流通量は極めて少なく、商業用途はほとんどありません.

黒リン(Black phosphorus)

黒リンは、リンの中で最も熱力学的に安定な形態です.外観は黒色の光沢ある固体で、層状構造を持つ結晶性の物質です.他のリンの同素体(絶縁体)とは異なり電気・熱をよく流します.原子層の1層のみを剥離することができ、単層は「フォスフォレン(phosphorene)」と呼ばれます.

化学的特徴

結晶構造は直方晶系に属します.1層は波打った六員環のシートからなり、層間はファンデルワールス力により緩く結合しています.金属光沢を持ち、バルクではバンドギャップ0.3 eVほどですが、単層では1.5~2.0 eVほどになります.すなわち、層の積層数によってバンドギャップが制御可能です.

応用

特にグラフェンの発見以降、単層のフォスフォレンへの注目が爆発的に増え、2次元材料として研究が大いに盛り上がっています.

非常に高い電子移動度を示し、グラフェンとは異なり有限のバンドギャップを持つことが強みです.この特徴を活かし、電界効果トランジスタや論理回路といったエレクトロニクス用途、光検出器などのオプトエレクトロニクス用途での応用が盛んに検討されています.電池材料用途の研究もあるようです.

まとめ

3つの結合の手を持つリンは、手を組み替えることで多様なネットワーク構造を作ることができます.その結果、同じ元素であっても全く異なる性質を示す多くの同素体が知られています.強い毒性と反応性から使用が忌避される白リンから比較的安全な赤リンや2次元材料として全く新しい応用先を示唆する黒リンに至り、ありふれた元素でありながらリンは先端研究の対象であり続けてきました.

一方で、その強い毒性と反応性は白リンを兵器に変え、その余波は現在の戦争にまで及んでいます.決して過去の物質ではないことを忘れてはいけません.

ダイキン、迫られた「白リン弾」撤退 サステナ投資家、問題視し株売却 欧州勢方針で広がる影響 - 日本経済新聞

参考文献

化学と教育 2013 年 61 巻 12 号 p. 600-603

ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義 岡真理 (著)

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).