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金の陰イオン:金属だって負の電荷をまとう

更新 2024-2-23

金(Gold)とその歴史

黄金は何千年もの間、人類を魅了してきました.古代オリエント,古代中国,古代アメリカなど,地域や文明は違えど,黄金は非常に価値のある物品として,ときに王族や貴族の権力の象徴として扱われてきました.金をめぐって数多の人が奪い合い、争いを繰り広げました.金の何が人々をそこまで惹きつけるのでしょうか.

金は希少な金属であり、何物にも形容しがたい独特の色と輝きを示します.このことが、王侯貴族の力を示すことに利用するのにうってつけだったのだと思われます.

一方で,やわらかく延性・展性が高いことから武具としての使用には適しません.その分加工がしやすいですから、装飾品として広く使用されてきました.一方で、密度が大きいため一度に大量の金を身に纏うのは大変だったことでしょう.

金の反応性

金の最大の特徴は,なんといっても非常に安定であることです.鉄や青銅は空気中で容易に錆びる(酸化される)のに対して、金は全くと言っていいほど錆びません.ツタンカーメンの黄金のマスクは3000年以上が経過した現代においても黄金のままです.

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金の標準電極電位は 1.68 Vであり、Ag の 0.799 V と比べるとその安定さが分かります*1.このように歴史上、金は反応性に乏しいことが常識でした*2.一方で、強力な酸化剤のもとでは陽イオンとなることも可能で,+6 から +1 までの様々な酸化数をとります.

金の陰イオン

金は酸化されにくいですが,還元に対してはどうでしょう.還元されやすさを示す一つの指標として、元素の電気陰性度があります.

還元とは電子を受け入れる反応ですから,電子の引き付けやすさを示す電気陰性度はひとつの目安となりえます.すなわち、電気陰性度が大きいほど電子を受け入れやすい(=還元されやすい)と考えられます.実際、電気陰性度が最大のフッ素は強力な酸化剤(=還元されやすい)です.

 金の電気陰性度(Paulingの値)を見てみると、2.54という値です.この値は高いのでしょうか、低いのでしょうか.

同じような値の元素を探してみると、硫黄(2.58)やセレン(2.55),ヨウ素(2.66)が見つかりました.

有機化学の感覚だとどれも陽イオンになるイメージがある元素ですが、固体中で金属と結びついた場合は陰イオンとなることが多い元素です.金の電気陰性度はこれらと近いので、全元素中でもかなり陰イオンになりやすい元素と言えます.

ほかの金属元素と比べてみるとどうでしょうか.鉄をはじめ、大多数の金属元素の電気イン制度は1〜2の間にあります.すなわち、金の電気陰性度は金属の中でもとびぬけて高い値です.

しかし、金属は一般的に陽イオンにはなっても陰イオンにはなることはありません.
反応性に乏しい金が陰イオンになることはあるのでしょうか.

驚くことに、金は特定の状況下では陰イオン\rm{Au^-})として振舞うことが知られています.以下では、陰イオンとしての金の世界を覗いていきます.

金の陰イオンの実際

金の電気陰性度が高い理由を探ります.まず、金の電子配置を見てみましょう.

  [Xe] (4f)14(5d)10(6s)1

ここに電子を一つ加えると,

  [Xe] (4f)14(5d)10(6s)2

p軌道はないので閉殻にはなっていませんが、sとdの各軌道が全て埋まることが分かります.このことが、金の電子陰性度が高い理由であり、金の陰イオンが比較的安定な理由と考えられます.

とはいえ、金を陰イオンにすることは,酸素や硫黄を陰イオンにすることに比べると簡単ではありません.

金は重金属ですから、原子核が多くの電子軌道の奥深くにあります.核と最外殻電子軌道の間に多くの電子軌道があるため、新たに獲得した電子を強くつなぎとめることができません.そのため、金の陰イオンを安定化するためには、それ相応の電子陰性度の小さい元素”の存在が必要になります.*3

金の陰イオンを含む物質

1930年代、金の陰イオンを含む物質として最初に報告されたのが\rm{CsAu}です.電気陰性度の非常に小さいセシウムを使用することで金の陰イオンを安定化させています.

\rm{CsAu}\rm{CsCl}型構造を示し、初期の報告では、半導体的な挙動を示すイオン性結晶とされていました.

しかし,単結晶を用いた報告では金属伝導が報告されたため、\rm{CsAu}がイオン結晶という見方は現在では否定されています.とはいえ、部分的に負の電荷を持った \rm{Au}が存在するのは確かでしょう.

その他、\rm{Ca_5Au_4}\rm{Ca_5Au_3}などの金の陰イオンを含む二元系物質が報告されています.

酸素の陰イオンと金の陰イオンが共存する物質

その後、長らくこの分野の進展はありませんでしたが、1990年代には\rm{Cs_3AuO} という組成の物質が報告されました.

価数を割り振ると\rm{(Cs^+)_3(Au^-)(O^{2-})} であり、なんと酸素の陰イオンと金の陰イオンが共存しています.

酸金化物とでも呼べばよいでしょうか.

同時に酸金化物である\rm{K_3AuO}\rm{Rb_3AuO}の組成の物質も続々と報告されました.これらの酸金化物の結晶構造はアンチペロブスカイト型構造と呼ばれます.

当然予想される通り、金の陰イオンを含むこれらの物質は非常に不安定で、合成法・保存法に最大限の注意を払わなければなりません.酸素、水素、二酸化炭素にいずれにも弱く、加熱しても容易に分解します.

金の陰イオンの確認

さて、\rm{Cs_3AuO}の組成を見れば\rm{Au^-}が生成していることは予想できますが、実験的にはどのように\rm{Au^-}の存在を示せばよいでしょうか.

一つの手段は、最外殻の電子の束縛エネルギーを測定することです.

一般に陰イオンよりも中性原子や陽イオンの方が強く電子が束縛されているため、陰イオンの束縛エネルギーはそれらよりも小さくなることが期待されます.

実際、X線吸収分光測定により,\rm{Cs_3AuO}\rm{CsAu}の最外殻電子の束縛エネルギーが求められました.これらの物質における束縛エネルギーは単体や金酸化物のものよりも小さいことが分かり、陰イオン性の金が含まれていることが示されました.

とはいえ、陰イオンの金の束縛エネルギーは物質によってかなり異なり、完全な\rm{Au^-}ができているわけではないようです.

この点は、物質によらず陰イオンの束縛エネルギーがおおよそ一定の値になるハロゲン元素とは一線を画しています.

その他の金属の陰イオン

このように金の陰イオンが存在することが分かりました.さて、電気陰性度の周期表を見ると、他にも大きな電気陰性度の値を持つ金属元素があることが分かります.

特に重要なのが\rm{Pt}で、実際に\rm{Cs_2Pt}\rm{BaPt}など、\rm{Pt}が陰イオンとして振舞う物質が多く知られています.

まとめ

現在までのところ、以上のような金化物および白金化物は、典型元素との組み合わせからのみなります.不安定かつ物性に乏しいため、この分野の研究はそう多くありませんが、遷移金属を含むような系が合成できれば、また研究の幅が広がるかと思います.

なかなか難しいかと思いますが、遷移金属の酸水素化物が合成されたのが21世紀に入ってからということを考えると、まだまだ物質開発の余地はあるのかもしれません.

参考文献

Chemical Society Reviews, 2008, 37.9: 1826-1835.

Solid state sciences, 2008, 10.4: 444-449.

European Journal of Inorganic Chemistry, 2011, 2011.26: 3841-3847.

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).

*1:電位の値が正に大きいほど酸化されにくい=錆びにくい、となります

*2:その分,金ナノ粒子の触媒作用が発見されたときは世界が驚きました.

*3:金の重要な特徴として相対論的効果もありますが,それについては別記事で紹介します.