VSEPR則(原子価殻電子対反発則、Valence shell electron pair repulsion rule)
世の中には様々な分子があり、それぞれ形状が異なります.
例えば、メタン(CH4)は四面体型、アンモニア(NH3)は三角錐形、水(H2O)は折れ線型、二酸化炭素(CO2)は直線型をしています.
何が分子の形を決めているのでしょうか.
あらゆる原子の周りには価電子があり、価電子を別の原子と共有することで共有結合を形成します.共有されない余り物の電子は孤立電子対(lone pair)として残ります.
メタンの中心原子は炭素(C)であり、C は4つの価電子を持ちます.メタンは4つの水素(H)によって配位されています.4つの価電子はそれぞれ水素と共有結合を形成し、互いに等価な4つの C-H 結合を生成します.
C-H 結合に含まれる共有電子対はクーロン力によって互いに反発し合い、それぞれがお互いを最大限引き離すために、Cを中心としてHが四面体の頂点にあるように配置されます.4つの結合は互いに等価なので正四面体となり、各 H-C-H 角は理想的な109.5度となります.
このような議論を一般に拡張し、分子の形状を予測するモデルが Valence shell electron pair repulsion theory(原子価殻電子対反発モデル、VSEPR則)です.
Ronald GillespieとRonald Nyholmが主な開発者であり、1957年に発表されました.
今回は、VSEPR則の歴史と成果、そして問題点について見ていきます.
VSEPR則の概要
20世紀初頭、Lewisは「価電子は通常2つ1組で存在すること」、「共有結合は結合した2つの原子の間で共有される1組の電子で表されること」、「4組の電子(すなわち8つの電子)で安定な価電子殻を構成すること」を提唱しました.
当時はなぜ電子がクーロン力に打ち勝って2つ1組で存在するか分かっていませんでしたが、後に電子スピンが発見され、その後パウリの原理が定式化されたことで理解が進みます.
分子の形は配位子間の反発によって決まるとされ、反発エネルギーを最小にするような配置が実現すると考えられました.つまり、電子対の反発を最小にするように配位子は中心原子の周りに集まり、配位子が4つの場合は正四面体、3つの場合は正三角形の形状になります.
しかし、NH3 分子は平面三角形ではなく、SF4 分子は正四面体ではありません.分子の形状を考えるには、結合電子対だけでなく孤立電子対も考慮に入れる必要があります.
アンモニアは3つの N-H 結合の他に、一つの孤立電子対を持ちます.これらが四面体型に配置するため、NH3は三角錐形の構造をしているように見えます.
同様に、水は2つの O-H 結合と2つの孤立電子対を持つため、H2Oは折れ線型をしているように見えます.
しかし、NH3 や H2O は理想的な四面体から導かれた構造とは異なっています.
例えば、仮に理想的な四面体であれば H-N-H 角や H-O-H 角は109.5度になるはずですが、実際の角度はそれよりも小さい値(それぞれ107度、104.5度)となっています.
この実験事実を説明するため、VSEPR則では以下のような仮定をします.
孤立電子対ー孤立電子対 > 孤立電子対ー結合電子対 > 結合電子対ー結合電子対
の順で小さくなる.
つまり、孤立電子対と結合電子対は等価ではなく、孤立電子対の方が結合角への影響が大きい.」
なぜこのような事が起こるのか直感的な説明もよくされますが、実際の理由ははっきりしません.とはいえ、この仮定を用いることにより様々な分子の構造をすっきりと説明することができるようになりました.
VSEPR則によって理解される分子の例は、こちらのページによくまとまっています.
まとめ
VSEPR則は多くの分子の構造を予測するのに威力を発揮してきましたが、限界もあります.まず、なぜ孤孤立電子対の方が結合電子対よりも結合角への影響が大きいのか、はっきりとした説明はできていません.
また、VSEPR則の仮定では結合電子対をどれも一緒くたにしていますが、配位子の種類による影響を考慮しなくても良いのでしょうか.例えば、N(SiH3)3という分子の形は平面三角形であり、NH3の三角錐形とは異なります.これは、明らかに配位子によって分子の形状が異なることを意味しています.
このように欠点はあるものの、VSEPR則は直感的に受け入れやすいため現代でも有用な理論です.初学者にとって難しく、誤解の多い分子軌道を考慮しなくても分子の形を予測することが可能です.こういった事情から60年以上にわたり、VSEPR則は化学者に半ば常識として捉えられ、化学の入門コースでたびたび取り上げられきました.
VSEPR則の欠点を補う理論としてはベント則が挙げられ、そちらはまた別の記事で触れることとします.
参考文献
J. Am. Chem. Soc. 38 (1916) 762.
Coordination Chemistry Reviews 252 (2008) 1315–1327
分子の描画にはMolViewを使用.MolView