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不動態:その生成の仕組みと活用法

更新 2024-3-5

不動態(Passivation)

不動態とはなんでしょうか.辞書的な定義で言えば、「通常の金属が、当然示すはずである活性を失って、一見、貴金属(容易に化学的変化を受けない金属)であるかのように挙動する状態」とされます.不働態と呼ばれることもあります.

「不動態」と書かれると難しい専門用語のようで近寄りがたい印象を受けますが、そんなときは英語の原義に戻って考えてみます.

不動態は英語でPassivationです.Passiveとは、「受身の、消極的な、活気のない」を意味し、ゲームでパッシブスキルといえば(能動的に発動しない)受動的なスキルを指します.その名詞形であることを考えれば、「(物質が)やる気を失った=活性を失った状態」であると解釈できます.

では、なぜやる気を失ってしまったのでしょうか.今回は、不動態がどのように形成されるかを紐解き、不動態が世の中でどのように利用されているかを見ていきます.

不動態の形成

物質の反応性が高いシチュエーション、例えば酸性溶液中の金属について考えます.

ナトリウムなどのアルカリ金属は、塩酸や希硫酸中で容易に溶解しますが、銅や銀は強力な酸化力を持つ溶液にしか溶解しません.このような違いは、金属のイオン化傾向の差に由来しており、イオン化傾向の小さい金属ほど酸との反応性が低いことが知られています.

この考えに基づけば、イオン化傾向の比較的大きいアルミニウム(\rm{Al})や鉄(\rm{Fe})、ニッケル(\rm{Ni})などは濃硝酸(酸化力が非常に強い)中で溶解するように思えますが、実際にはこれらの金属片を濃硝酸中に加えても溶解反応は進行しません.

これらの金属の表面は腐食されますが、その過程で金属表面が不活性な物質(多くは酸化物)に化学変化することで、それ以上の溶解の進行が抑えられます.

金属が皮膜に覆われることで、内部に溶液が触れることができなくなるのです.このような状態を不動態と呼びます.

Passivation

すなわち、不動態と呼ばれるための要件は、

(1)イオン化傾向など、熱力学パラメータによれば当然化学反応が進行することが予測されるが、

(2)反応の進行過程で、物質の表面に不活性な被膜が形成され、化学反応の進行が抑制される

となります.

反応過程で物質表面に酸化物被膜が形成されても、その酸化物も反応性が高く、反応の進行が止まらない場合は不動態ではありません.また、反応の進行が起こらなくても、それが表面生成物以外の要因によるものである場合(例えば、溶液の濃度が薄まった場合)も不動態とは呼びません.

不動態の形成は、物質の表面が十分に不活性膜で覆われた段階で止まると考えられます.不活性膜に覆われていても、極めて薄ければトンネル効果によって物質が反応する可能性があるので、トンネル効果の起こらない限度である3 nm程度が膜厚の限度でもあると考えられます.

本来は活性であるはずの物質が不活性になってしまうのであれば、不動態は避けるべき事態なのでしょうか.たしかにそのような側面はありますが、ものは使いようです.産業において、不動態をうまく活用した技術が数多く存在します.

以下では、不動態がどのように利用されているかを見ていきます.

不動態の利用

産業から身の回りまで様々な物質が活用されており、求められる性質も多岐にわたりますが、丈夫で長持ちする物質が重宝されるのはどこの業界も同じです.

しかし、世の中にあるのは安定な物質ばかりではありません.磁石としては抜群に優れているけども錆びやすく脆い、というようなトレードオフをどの物質も抱えています.

不動態をうまく活用すれば、材料の機能を維持したまま化学的な安定性を両立することが可能です.すなわち、不動態はコーティング材料として機能します.

一般のコーティング材料との違いは、不動態は原子レベルで緻密かつ極薄の被膜を形成できる点です.これにより、元の材料の特性を下げることなく安定性をプラスすることが可能です.

半導体材料

半導体は現代文明を支えるキーパーツの一つですが、その実態はあまり知られていません.半導体の代表例である集積回路は非常に緻密かつ高密度に形成されており、原子レベルの僅かな汚れであっても命取りです.

半導体基板を外気や汚れから保護するために、素子の表面に不動態膜をコートします.シリコン半導体では、表面を加熱することで二酸化シリコン(\rm{SiO_2})を形成させます.

太陽電池も半導体デバイスの一種ですが、近年目覚ましい発展を遂げているペロブスカイト太陽電池業界においても、性能を向上させる手段として不動態の活用が盛んです.

鉄系材料

鉄は優れた構造材料かつ磁石ですが、錆びやすく脆いという欠点もあります.これを補うためにクロムやニッケルを加えた合金がステンレスです.錆びにくく高い強度を持ったステンレスは、非常に多くの領域で使用されています.

ステンレスでは、含まれるクロムが酸素と優先的に反応することによって不動態が形成されます.この被膜を形成するために不動態化処理(パッシベート処理)が行われています.不動態があることでStain(汚れ)がLess(少ない)を意味するステンレスが実現しているわけです.

なお、不動態の形成によって得られた被膜も万能ではありません.例えば、ステンレスは塩化物イオンには弱く、したがって海水には汚損されます.一方で、改良を加えることで海水にも耐性を持つステンレスも製造されています.

まとめ

不動態という文字列を見ると、あまりポジティブなワードではないように見えます.しかし、本来であれば活性(=不安定)である物質を不活性(=安定)に変貌させる不動態は非常に有用であり、産業で重宝されます.

「やる気のある=活性な」だけでは長続きしません.「やる気を失った=不活性」な一面も持ってこそ、長年にわたって活躍することができるのです.

参考文献

p型シリコン結晶の水素による不動態化のからくり

【基礎中の基礎!】不動態化処理とは | 三和鍍金