はじめよう固体の科学

電池、磁石、半導体など固体にまつわる話をします

MENU

ハイエントロピー合金:全く新しい合金材料

更新 2024-2-25

ハイエントロピー合金(高エントロピー合金、High-entropy alloys)

合金は人類の歴史上で重要な役割を果たしてきました.

地球上には多種多様な金属元素がありますが、単体の金属だけでは人類のニーズを満たすことができません.人類は、金属を溶解させて混ぜ合わせることで合金を生成し、望みの特性を持つ材料を作り出しました.

例えば「」は資源豊富で魅力的ですが、単体では錆びやすく強度も十分ではありません.鉄に炭素を混ぜ合わせることで強靭かつ加工性に優れた鋼鉄となり、産業でも日常生活でも非常に重要な鉄鋼材料として用いられます*1.また、鉄にクロムとニッケルを加えると防食性が増したステンレス鋼に、シリコンを加えると軟磁性特性に優れた電磁鋼板となります.

合金からハイエントロピー合金へ

従来の合金の設計方法はシンプルです.メインとなる金属元素を一つ選び、その特性を強化したり弱点を補うために他の元素を混ぜ合わせます.

銀は錆びにくく希少性が高いので硬貨として適しますが、軟らかすぎるので少量の銅を加えます.アルミニウムは軽いものの軟らかいため、銅やマンガンを加えて強度を増します.このような合金は「銀合金」「アルミ合金」などにメインとなる元素の名を取って呼ばれます.

青銅器時代から何千年も合金の設計方法は変わっていませんが、可能な組み合わせは調べ尽くされつつあります.今後も新しい特性を持った合金の材料開発を続けていくのであれば、新たな物質探索のアプローチが必要となります.

こうした状況のもと、近年急速に進展している合金材料がハイエントロピー合金です.

ハイエントロピー合金は、従来の合金よりも強度に優れるとされるほか、従来の合金では見られない様々な特性が報告されています.今回は、ハイエントロピー合金の定義と特徴、応用について見ていきます.

ハイエントロピー合金とは

ハイエントロピー合金の発想もまた驚くほどシンプルです.

これまでの合金はメインとなる元素を決めていましたが、ハイエントロピー合金では主役を定めず、複数の元素を比較的高濃度(多くは等濃度)で混合します.特に5種類以上の元素を等濃度に近い割合で混合した合金をハイエントロピー合金と呼ぶ場合が多いようです.

元素の組み合わせと混合割合の多さ、そして歴史の浅さから、ハイエントロピー合金には広大な物質探索空間があるとされています.

ハイエントロピー合金の概念が導入されたのは2004年のことです.その斬新なアイデアとキャッチーな名称から、ハイエントロピー合金の研究は爆発的に拡大しています.このような単純な概念がこれまで試みられなかったのは驚きですが、まさにコロンブスの卵的な発想であったと言えます.

とはいえ、5種類以上もの金属が単一の固溶体を形成するかは自明な問題ではありません.二元系の合金がメジャーであることを考えれば、元素の一部が反応して多くの二元系(あるいは三元系)合金の混ぜ合わせになることも考えられます.

後に示すように、5種類以上の元素が単一の合金として生成するには、「エントロピー」が重要な役割を担っています.

合金とエントロピー

熱力学によれば、合金が生成するかどうかは混合のギブズエネルギー変化( ΔGを考える必要があります.ギブズエネルギー変化が負であれば混合は自発的に進みます.正であれば、その反応は進みません.

   ΔG = ΔH - TΔS

ここで ΔHはエンタルピー変化、 Tは温度、 ΔSはエントロピー変化です. ΔHは反応熱の程度を示し、 ΔHが負であれば発熱反応、正であれば吸熱反応です.

 ΔSは反応物に対する生成物の無秩序(乱雑さ)の程度を示します.一般に、合金の成分が増えていくほどエントロピーは上昇していき、金属が規則的に分布するよりも完全にランダムに配置したほうがエントロピーは大きくなります.

ハイエントロピー合金は、その名の通りエントロピーが大きな合金材料です.合金における金属元素が2種類であればエントロピーは大したことはありませんが、5種類がランダムに分布すればエントロピーは非常に大きな値になります.

エントロピーが大きくなるほど ΔGが負にする傾向が強まるため、結果として金属がランダムに分布した単一の合金が生成します.

以上の話を定量的に理解しましょう.金属をランダムに分布させる際の配置エントロピーの変化は下式で与えられます.

   ΔS = -R \sum_{i} c_i \ln c_i

金属が完全に特定のサイトに規則化する時、エントロピー変化はゼロになります.一方、複数の金属を同濃度で混合することによってエントロピー変化は最大値をとります.おおよそ、 1.5Rほどエントロピー変化がある物質をハイエントロピー合金と呼ぶようです.

ほとんどのハイエントロピー合金は、単体金属と同様に面心立方格子(FCC)、体心立方格子(BCC)、六方最密格子(HCP)のいずれかの構造をとります.五元系なので物質のバリエーションはいくらでもありますが、有名な材料としては\rm{CrMnFeCoNi}(FCC)や\rm{TiZrHfNbTa}(BCC)が挙げられます.

物質探索空間が広大であることから経験と勘に基づいた材料探索は困難ですが、計算科学による材料特性予測も行われています.

また、ハイエントロピーの概念は金属材料にとどまらず、酸化物や硫化物の陽イオンサイトにハイエントロピーのコンセプトを導入した材料の報告もあります.

ハイエントロピー合金の特性

ハイエントロピー合金のコンセプトは斬新であるものの、それだけでは注目されるに値しません.ハイエントロピー合金が流行したのは、既存の合金にはないいくつかの特性を示すからです.

ハイエントロピー合金には以下のような4つの特徴があります.

(1)ハイエントロピー効果

上述の通り、極めて高い混合エントロピーの影響によりギブズエネルギーが小さくなり、金属元素が完全にランダムに分布した単一の固溶体が生成しやすくなります.

(2)格子の歪み

ハイエントロピー合金には大きさの異なる多様な金属元素があるため、金属元素間のサイズの不一致により格子が大きく歪んでいます.このことが物理的・機械的特性にさまざまな影響を及ぼします.

(3)遅い拡散

ハイエントロピー合金では格子や金属同士の結合が歪んでいる関係で、原子の拡散が困難になり、拡散速度が極めて遅くなります.

(4)カクテル効果

ハイエントロピー合金の組成は複雑であるため、元素間の相互作用により、もともとの金属元素の単体からは想像のつかないような特性を示す場合があります(いわゆる「カクテル効果」).

ハイエントロピー合金の利用

ハイエントロピー合金は従来の合金材料と比較して、高強度、高延性、高靱性などの優れた機械的性質および熱的安定性、耐食性などの機能性を有するとされています.また、磁性材料としても注目され、優れた軟磁性特性も報告されています.

当然ながら、金属元素の種類が増えれば増えるほどこれらの特性が改善するという話ではなく、ハイエントロピー合金の中のいくつかの組成で特性に優れた材料が発見されているに過ぎません.

他にも、電気化学反応、水素発生反応、\rm{CO}のメタノール化、アンモニア分解、\rm{CO_2}の固定化、カーボンナノチューブ合成などへの触媒材料、リチウムイオン電池のアノード・カソード材料、水素貯蔵材料などへの応用がなされています.

合金に限らず、ハイエントロピー酸化物・ハイエントロピー硫化物についても各分野で優れた特性が報告されています.

これらの優れた性能は、複数元素の相乗効果、高い原子配位と活性表面、表面吸着エネルギーの最適化、構造のエントロピー安定化などによって説明されます.

ハイエントロピー材料は高活性で安定性に優れ、低コストな触媒材料として、様々な用途に応用できることが期待されます.

まとめ

ハイエントロピー合金は物質空間が広大すぎるので、合成されて特性の評価されている物質はほんの一部だけです.

今のところ多数の化学種を当濃度で混合可能なのは金属か陽イオンサイトに限られていますが、ゆくゆくは陰イオンサイトにもハイエントロピーの概念が適用されると思われます(適用されつつあります).

とはいえ「ハイエントロピー」の概念が独り歩きしている感もあり、必ずしもエントロピーが物質の生成や特性に影響を及ぼしているわけではないという主張もされています.

何はともあれ、物質探索に閉塞感のあった領域に非常に広大な探索空間が導入されたのは朗報であり、今後理論・実験の両面から材料研究が広がることが期待されます.

参考文献

Nature reviews materials, 2019, 4.8: 515-534.

Journal of Materials Chemistry A, 2021, 9.2: 782-823.

Acta Materialia, 2020, 188: 435-474.

International Materials Reviews, 2016, 61.3: 183-202.

*1:実際は天然の鉄鉱石を還元した銑鉄にもともと炭素が数%含まれています