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ヒドリド(Hydride):水素の陰イオンとその高い反応性

更新 2024-2-25

水素(Hydrogen)

水素は宇宙で最も豊富な元素であり、惑星の内部や材料の中などあらゆる場所に姿を見せます.水や石油にも含まれることから分かるように、私達の生活に水素は欠かせません.

一口に「水素」といっても様態は様々で、水素分子の場合もあれば、水素イオンの状態、水素原子の状態でも存在します.水素社会が叫ばれて久しいですが、燃料として使用する水素は水素分子の形で存在します.

今回見ていくのは、負の電荷を持つ水素イオン、ヒドリドです.

水素と水素イオン

水素は、最もありふれた元素でありながら、非常に特殊な元素でもあります.なんと、水素イオンは正と負のいずれの電荷の状態をとることができます.

水素が正負両方の電荷を取れる理由は、水素の電子配置を考えることで分かります.まず、水素は価電子が一つしか無いので陽イオンになりえます.ここまでは他の一族元素(アルカリ金属)と同様です.しかし、電気的に陽性な他のアルカリ金属は滅多に陰イオンになりません.

水素では他のアルカリ金属と事情が異なり、最外殻軌道に一つだけ電子を加えると貴ガスであるヘリウムと同じ電子配置になります.このため、電子を受け入れることにも比較的寛容で、水素は陰イオンにもなることができます.

実際、水素の電気陰性度は第一族元素の中では異常に高い値を示しており、全元素の中でも中程度の値です.

水素の陽イオン(ヒドロン)

陽イオンとなった水素をヒドロン(hydron)と呼びます.

中性子のない軽水素の陽イオンは陽子と同一であるため、慣用的に「プロトン」とも呼ばれます.(実際は、重水素を含んでいようがお構いなしにプロトンと呼ばれることがほとんどです.)

プロトンは、酸性の物質が放出することでお馴染みのほか、プロトン伝導体、プロトンポンプなどの用語でも知られています.生体反応では主役となりうる非常に重要な化学種です.

とはいえ、裸のプロトンは非常に不安定なので、実際はプロトンが他の化合物に付属しているケースが殆んどです.ヒドロニウムイオン( \rm{H_3O^+})が有名です.

水素の陰イオン(ヒドリド)

一方、陰イオン(アニオン)となった水素をヒドリド(Hydride)と呼びます.

裸のヒドリドは非常に不安定であるため単体では存在せず、電気的に陽性なカチオンに隣接した状態でヒドリドが安定化されます.

「ヒドリド」の呼び名はややルーズに使用されており、一価の水素アニオンだけではなく、わずかでも負の価数を持つ(と予想される)水素全般に使用されています.

なぜ日本語で「ヒドリド」と呼ばれるかは定かではありません.Hydrideをあえてカタカナ読みにするなら「ハイドライド」です.どうやら、日本では水素化物(化合物)をハイドライドと呼び、水素アニオン自体はヒドリドと呼び分けているようです.当然ながら、英語ではどちらも同じ Hydride です.

化合物と化学種で違う呼び名を使うのは合理的ですが、ハライド(17族アニオンを含む化合物)中の陰イオンをハリドと呼ぶようなもので、やや奇妙にも思います.

ヒドリドの生成

ヒドリドを含む化合物を合成するには、強い還元力を持つ元素と水素を反応させる必要があります.例えば、アルカリ金属やアルカリ金属は水素と反応して水素化物を形成します.代表的な物質として水素化カルシウム( \rm{CaH_2})があります.

また、ヒドリドが酸化物イオンをはじめとした他のアニオンと共存するような物質(酸水素化物など)も知られています.水素化物は概して不安定ですが、それゆえ反応性に富み、反応剤や前駆体として利用されます.

ヒドリドを日常生活で見かける機会は多くありませんが、他の化学種にはない特異な性質から基礎的・工業的に注目を集めています.

非常に小さいプロトンとは対照的に、ヒドリドは一定の大きさを持ったイオンとして振る舞い、酸化物イオンやフッ化物イオンと大差ない大きさを持ちます.また、ヒドリドは強塩基として振る舞い、高い還元力を示します.

ヒドリドの性質

以下では、ヒドリドの特徴とその利用法について紹介します.

ヒドリドが示す性質として、主に以下の3つが知られています.

  • 強い還元力
  • 強い塩基性
  • 高い圧縮性
強い還元力

水素からヒドリドが生成する反応は下式のように表されます.

   \rm{H_2 + 2e^- → 2H^-, E = -2.25 V}

標準電極電位が大きく負の値を示しているので、ヒドリドは還元力(電子を押し付ける力)が高いです.実際、 \rm{NaBH_4} \rm{CaH_2}などの水素化物は化学反応の還元剤として使用されます.

高い電極電位を利用した電池への応用も始まっています.

強い塩基性

ヒドリドはプロトンと容易に反応します.すなわちヒドリドはルイス塩基であり、プロトンとの反応は大きな発熱反応です.

   \rm{H^- + H^+ → H_2, ΔH = -1.7 MJ/mol}

実際、 \rm{CaH_2}などの水素化物は塩基として水と反応することから、水を吸収する乾燥剤の役割で使用されます.

高い圧縮性

ヒドリドは、他の陰イオンとは異なり内殻に電子を持たないにもかかわらず、酸素やフッ素のアニオンと同程度の大きさを持ちます.そのため、圧力をかけたときに縮みやすいことが知られています.

例えば、酸水素化物 \rm{SrVO_2H}では、 \rm{V-H}結合のほうが \rm{V-O}結合よりも顕著に圧縮されやすいことが分かっています.

まとめ

水素は最も豊富な元素でありながら、極めて特殊で不思議な元素です.陽イオンにも陰イオンにもなりうることは、水素の不思議な性質の一例でしかありません.

不思議な水素の研究は未だに第一線で進んでおり、水素の研究に関する国家プロジェクトも最近行われました.水素社会が進む中でますます存在感を増す水素ですが、人類が水素を余すこと無く使いこなせるのはまだ先になるかもしれません.

参考文献

Hydrogenomics|ハイドロジェノミクス

Nature communications, 2017, 8.1: 1-7.