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酸水素化物:水素アニオンを取り込んだ新しいセラミックス(1)

酸水素化物(Oxyhydride)

酸化物と水素化物

私たちの身の回りには様々なセラミックスが存在しています.

家や学校の周りを見渡すだけでも、陶器、レンガ、ガラス、セメントなど、様々なセラミックスが目につきます.セラミックスは、石器時代から現代文明まで、欠かすことのできない素材として、現在でも使用され続けています.

では、セラミックスの正体は何なのかというと、酸化物をはじめとした非金属の無機固体材料です.窒化物やホウ化物もありますが、多くは酸化物です.

なぜ酸化物を用いるのかというと、安定だからに他なりません.高温で焼き固めてもびくともしません.コーヒーカップがお湯で溶けだしたら嫌ですよね?

セラミックスは固く、高温で安定、かつ電気的に絶縁な材料として、金属材料とは替えの利かない素材として確固たる地位を築いています.

酸化物と比べると水素化物を見かける機会は少ないかと思います.

水素はカチオン( \rm{H^+}、プロトン)として振舞うことが多いですが、ある特殊な環境ではアニオンとして振舞い、ヒドリドと呼ばれます.ヒドリドを含むような物質を水素化物と呼びます.

水素化物として有名な物質は、還元剤として使われる \rm{NaBH_4} \rm{LiAlH_4}などが挙げられます.有機化学反応ではおなじみの試薬です.

その他、水素吸蔵合金などの分野でも水素化物が使われます.水素は現代社会で注目のエネルギー源なので、日常的にはこちらの方が身近かもしれません.(水素吸蔵合金中では、水素はアニオンというよりはゼロ価の原子として振る舞うという話もあります)

水素化物に共通している特徴は「不安定」であるという点です.触れただけで爆発するような話ではありませんが、少なくとも還元剤として用いるには反応性がないと困ります.水素吸蔵合金も、使用する際には速やかに水素を放出してくれないと困ります.商用利用を度外視した水素化物では、本当に触れただけで爆発するような物質もあります.

さて、酸化物水素化物ですが、一方は、安定の代表であり、もう一方は不安定の代表です.一見、何の接点もなさそうな物質群ですが,なんと一つの物質中に両方のアニオン(酸素アニオンと水素アニオン)を含む物質が数多く知られています.

不安定なセラミックスあるいは安定な水素化物.組み合わせた物質はどのような性質を示すのか.今回は、酸水素化物について見ていきます.

酸水素化物:発見と合成法の確立

酸化物中に水素が存在するような物質は昔から知られていましたが、それらの多くは \rm{OH}基を持つ水酸化物でした.

ここでは水素はカチオン(プロトン)として振舞います.粘土として知られるモンモリロナイトなどはその代表的な例です.このため、酸化物中の水素といえばプロトンであるのが常識でした.

一方,1982年に発見された \rm{LaHO}は不思議な物質です. \rm{O} \rm{H}が含まれているにも関わらず, \rm{O-H}距離が \rm{3 Å}近くもあります.このような \rm{O-H}距離は水酸化物OH基における距離( \rm{1.3 Å}程度)と比べて異常に長い値です.[a,b]

その後の研究により、 \rm{LaHO}では \rm{H}ヒドリドとして振舞っていることが分かりました. \rm{La^{3+}}との電荷補償の観点からも、 \rm{H}をアニオンとして見る方が合理的に思います. \rm{LaHO}のように酸素アニオンと水素アニオンが共存した物質は酸水素化物と呼ばれます.

その後、 \rm{Ba_3AlO_4H} \rm{Ba_{21}Si_2O_5H_x}などの組成を持つ酸水素化物が発見されました.これらはいずれもカチオンとして典型元素のみを含みます.[c,d]

遷移金属を含むような酸水素化物は合成できないのでしょうか.

遷移金属を含む酸水素化物

水素アニオンは還元性は非常に高く、水素アニオンを安定化するためには強い還元雰囲気を用意する必要があります.

20世紀中に報告された酸水素化物はいずれも高温・水素気流中という非常に強い還元雰囲気で合成されていました.しかし、遷移金属は一般に還元されやすいため、強い還元雰囲気では金属が単体まで還元されてしまいます.

一方、空気中のように酸素を含む雰囲気では水素が酸化されてしまい、ヒドリドが生成しません.空気中で焼くだけで合成が可能な大多数のセラミックスとは一線を画す大問題です.

状況が一変したのは、2002年に、遷移金属 \rm{Co}を含む酸水素化物 \rm{LaSrCoO_3H_{0.7}}が合成されてからです.この物質は \rm{LaSrCoO_4}という酸化物を前駆体として、水素化物を用いた低温還元反応を行うことで合成されました.[e]

低温(といっても200℃程度)での反応により、前駆体の結晶構造の骨格を保ったまま、水素アニオンが結晶構造中に挿入されます.このような合成手法をトポケミカル還元反応と呼び、多くの酸水素化物の合成に用いられています.

 \rm{LaSrCoO_3H_{0.7}}では \rm{Co}の価数が1.7程度と異常に低い値をとっており、この異常低原子価が、ヒドリドを結晶中に安定化する要因になっていると考えられていました.

(もし高価数の金属イオンがあればヒドリドの電子が金属イオンに移動して還元してしまうためです)

一方、2012年に合成が報告された \rm{BaTi(O,H)_3}では \rm{Ti} \rm{+3〜 4}というありふれた酸化数を持ちます. \rm{BaTi(O,H)_3}は、前駆体である \rm{BaTiO_3}を低温で還元することによって合成されます.[f]

この発見を受け、金属イオンが低価数であることは酸水素化物が生成する必要条件とはみなされなくなりました.

トポケミカル還元反応を用いて合成された酸水素化物としては、 \rm{LaSrCoO_3H_{0.7}} \rm{BaTi(O,H)_3}のほか、 \rm{CaTi(O,H)_3},  \rm{SrTi(O,H)_3} \rm{SrVO_2H}が知られています.ペロブスカイト構造を持つ物質ばかりですが,層状ペロブスカイトでも \rm{Sr_2Ti(O,H)_4} \rm{Sr_2VO_3H}の報告があります.[g-j]

トポケミカル還元反応による合成の問題点は,必ず金属イオンの還元を伴うことです.すなわち、還元しにくい金属(4d、5d金属)の酸化物前駆体から酸水素化物を合成することは困難です.実際、 \rm{BaTiO_3}と同じ考えで \rm{BaZrO_3}を還元してもうまくいきません.

ところが近年では、前駆体に3d金属と4d(5d)金属を混ぜることによって酸水素化物の合成を可能にしました. \rm{LaSr_3NiRuO_4H_4} \rm{LaSr_3CoRuO_4H_4}などの酸水素化物が知られています.[k,l]

酸水素化物の新しい合成方法

一方、近年では酸水素化物の新しい合成法が模索されています.

酸水素化物は、一般に酸化物よりは不安定であり、高温で水素が脱離して分解します.一般的な固相反応法は1000℃近くの高温条件で行うので、酸水素化物の合成は困難です.

しかし、水素の脱離を抑えることができれば酸水素化物を合成できるかもしれません.こうして生まれたパワフルな合成法が超高圧合成法です.

高圧法では、原料を数GPa級の圧力をかけた状態で一気に過熱し、合成を行います.水素は脱離する暇もスペースもないため物質中に留まります.この方法によってさまざまな酸水素化物が合成されています. \rm{SrCrO_2H} \rm{BaScO_2H} \rm{La_{2-x-y}Sr_{x+y}LiH_{1-x+y}O_{3-y}} \rm{BaCrO_2H}などが知られています.[m-p]

近年では合成法がますます進展し、ボールミルを用いたメカニカルアロイング、前駆体を高温・水素雰囲気で反応させる方法が酸水素化物の合成に用いられています.[q,r]

このように今では様々な合成法が確立された酸水素化物ですが、結晶構造を決定することは簡単ではありません.

ヒドリドは電子数が極端に少ないため、固体の分析によく用いられるX線回折測定だけでは構造決定に不十分です.中性子回折測定、NMR、熱重量測定、第一原理計算などを相補的に用いることで構造を求めることが可能です.

まとめ

合成法の話に終止してしまい、肝心の物性に触れることができませんでした.こうして合成された酸水素化物ですが、どのような性質を示すでしょうか.

酸化物とも水素化物とも異なるその機能は、次の記事にまとめています.

参考文献

[a] Ann Chim Fr. 1982, 7, 623–634.

[b] J. Solid State Chem. 1984, 53, 44–54.

[c] J Solid State Chem. 1998, 141, 570–575.

[d] Inorg Chem. 1998, 37, 1892–1899.

[e] Science, 2002, 295.5561: 1882–1884.

[f] Nature materials, 2012, 11.6: 507-511.

[g] Inorg Chem., 2012, 51.21: 11371-11376.

[h] Angewandte Chemie, 2014, 53.29: 7556-7559.

[i] Inorg Chem., 2018, 57.17: 11058-11067. 

[j] Journal of the American Chemical Society, 2014, 136.20: 7221-7224.

[k] Angewandte Chemie, 2018, 130.18: 5119-5122.

[l] Inorg Chem., 2019, 58.21: 14863-14870.

[m] Angewandte Chemie, 2014, 126.39: 10545-10548.

[n] Inorg Chem., 2017, 56.9: 4840-4845.

[o] Science, 2016, 351.6279: 1314-1317.

[p] Inorg Chem., 2021, 60.16: 11957-11963.

[q] Journal of the American Chemical Society, 2022, 144.14: 6453-6464.

[r] Chemistry of Materials, 2022, 34.16: 7389–7401

結晶構造の描画にはVESTAを使用.K. Momma and F. Izumi, "VESTA 3 for three-dimensional visualization of crystal, volumetric and morphology data," J. Appl. Crystallogr., 44, 1272-1276 (2011).