更新 2024-2-24
水の電気分解(Electrolysis of water, Water splitting)
SDGsが叫ばれて久しい世の中になりました.カーボンニュートラルとかカーボンフリーとか新しいカタカナ語が次々に生まれて耳が痛い限りですが、何はともあれ化石燃料に頼り切っていた現代社会から脱却することは悪いことではありません.
しかし、そのためには新しいエネルギー源を探してくる必要があります.中でも注目を集めているのが「水素」です.
エネルギー源としての水素
水素は軽く、無味無臭、かつ安定な気体で、なんと燃焼しても水が生成するだけで環境に与える害がありません.今まで炭素燃料を使用してガンガン二酸化炭素を発生させていたのとはえらい違いです.しかも、仮にガス漏れしても拡散スピードが早いので、炭化水素ほど致命的なことにはなりにくいです.
これほど便利な水素を利用しない手はありません.
「化石燃料なんてやめて水素を使おう!」と行きたいところですがそうは問屋が卸しません.まず、水素をどこからか調達してくる必要があります.
どうやら宇宙に最も多く存在する元素は水素らしいので、これをどうにかして集めれば良いのでしょうか.残念ながら、宇宙にある水素は限りなく散らばってしまっており、かき集めて来ることは容易ではありません.仕方ない,地球の中で探しましょうか.
地球の中を探してみましたが、どうやら単体の水素は地球の長い歴史の中で宇宙に散逸してしまったようです.こうなると化合物中の水素を利用するしかありません.地球上の水素はほとんど全てが化合物として存在しています.
幸運なことに、水素を含む化合物は身近にたくさんあります.そう、水と炭化水素(化石燃料)です.
水素をどう作るか
これほど身近にある水素ですが、水素をエネルギー材料として用いるにはここから水素の単体を取り出さなければなりません.
主に工業的に使用されている手法は、炭化水素()から水素()を取り出す水蒸気改質と呼ばれる方法です.
(水蒸気改質)
(水性ガスシフト)
これらの反応を進行させることで、炭化水素内の水素が全て消費され水素分子が生成します.かなりの高温を必要としますが、工業的に最も利用されている水素の製造法です.
あれ…、結局炭化水素使ってるし二酸化炭素排出してる…?
二酸化炭素を排出しながら合成した水素がクリーンな材料だと謳われても、結局何やってんだという感じになります.一応、排出した二酸化炭素を何らかの手法で固定化(=大気に放出しない)すれば良いらしいですが....
クリーンな水素の作り方
もっとクリーンかつ温和な条件で水素を合成できる方法はないのでしょうか.
できれば二酸化炭素の排出なく安全な方法が望ましいです.それこそが、中学の教科書にも出てくる「水の電気分解(水電解)」です.
ご存じの通り、水に諸々の工夫をして電圧をかけると、水素(と酸素)が発生します.
電気分解なので電力が必要なわけですが、そこは夜間などの余剰電力を利用することで補います.エネルギーを水という扱いやすく安全な物質から変換できるので、エネルギーの貯蔵方法として有望です.また、発生する物質が水素と酸素だけなので環境への害もありません.
とはいえ、水電解の効率はまだまだ発展途上.効率的に水を分解できるような触媒材料が必要とされています.
水の電気分解の概要と原理
水の電気分解が初めて実証されたのは18世紀末のこと.ボルタ電池やダニエル電池が発明されると、それを利用した水の電気分解も続々と行われました.
19世紀末にはD. Lachinovが水電解を用いた工業的な水素製造を可能にしました.その後、1920年代に入ってから水電解の研究が大きく進展していきます.ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア合成の原料として、水素の社会的需要が爆発的に広がったためです.
現代に近づくに連れて水素社会の概念が広まり、クリーンで安全な水分解への注目は年々増しています.
水の電気分解の反応
さて、水電解の図式はシンプルです.
水に電極を二本挿し、ある程度電圧を変えれば水が分解して水素と酸素が形成されます.
すなわち、以下のような反応によって水素(と酸素)が生成します.
が出てきているので、これは酸性条件での反応ですね.塩基性条件では以下の通り.
このようにpHによって主要な反応は変わってきます.
水を分解するにはどの程度の電圧が必要になるでしょうか.
酸化還元ポテンシャルの表を見ると、理論上 1.23 V ほどの電圧をかけると水素(と酸素)が出てくるはずなのですが、様々な要因が絡み合い、実際には 1.8 V 程度のエネルギーが必要となります.
この余分なエネルギー(過電圧)を下げるために電極に触媒材料が必要です.しかし、現在主流の電極触媒はなどの高価な貴金属ばかり.これでは採算が取れません.そんなわけで、今日も材料科学者達がせっせと材料探索に励んでいます.
水の電気分解と反応性
さて、我々が欲しいのは水素なのですが、実際は上述の半反応が2つとも起こって初めて水素が生成します.
水素は単独では得られず、必ず酸素の発生もセットになります.困ったことに、上記の2つの半反応では、酸素発生の反応速度の方が遥かに遅いことが分かっています.反応式の複雑さ(化学種の多さ)もさることながら、酸素1分子の生成に4電子が関わってくるため低速で、水素発生の足を引っ張っている存在です.
そんなわけで、本当に欲しいものは水素なのに、実際に反応速度を決めているのは酸素発生反応の方なんですね.酸素発生反応の触媒は安価なだけでなく、のろまな反応を早めるための効率が求められます.
水の電気分解と溶液
純粋な水は電気を(ほとんど)流しません.正確に言えば、電気分解がほとんど進みません.上記の反応式を見れば明白で、電気分解にはあるいはが必要なので、その数が絶対的に不足している中性の水の中では反応が進行しようがないのですね.
参考までに、の水ではももしかありません.中性条件でまともに水電解が機能する触媒が実証されたのは2008年になってのことです.電気分解を進行させるためには、何らかの電解質を水に溶かして酸性か塩基性の水溶液を作成する必要があります.[a]
水の電気分解とイオン種
電解質を水に溶かすにあたって注意することは、水中に導入されるイオン種です.
仮によりも還元されやすいイオン種(など)を溶かすと、カソードにそれらの金属が析出してしまいます.金属析出を目的とした技術がメッキや電解精錬ですが、残念ながら今回の主題ではありません.アルカリ金属やアルカリ土類金属であれば水素より還元されにくいので安心です.
一方、アノードでは酸化反応が起こるので、水より酸化されにくいイオン種を選ぶ必要があります.例えば,食塩水の電気分解は有名ですが、アノードで塩化物イオンが酸化されて塩素が発生してしまうのであまり嬉しくありません.硫酸イオンやリン酸イオンなどのポリアニオンなどは比較的酸化されにくいため有用です.
水の電気分解と液性
では、水の電気分解をするにあたって、酸性溶液と塩基性溶液のどちらを使えばよいでしょうか.
反応を早めるにはなるべく電極に入り込むイオン種の数を増やすことが重要です.
とを比較すると、軽くて小さいの方が圧倒的に素早く移動できます.そのため、の多い酸性条件の方が好ましいように思えますが,の量を増やすために酸性を強めると、生半可な電極は溶けてしまいます.溶けないような電極は高価な貴金属(Ptなど)しかないので,酸性で水電解をしようとするとどうしてもコストが掛かります.
そんなわけで、現在では塩基性条件で行う水電解が主流です.
塩基性での水電解は20世紀前半から行われており、これはメタンの水蒸気改質が行われるよりもよりも早い時期です.酸性条件に比べるとやはり塩基性条件では反応進行が遅めですが、比較的安価で資源豊富なNiなどの金属を電極に利用できるのが魅力となっています.
まとめ
以上、水の電気分解の概要から歴史、問題点を概観してきました.
水の電気分解は酸素の生成と水素の生成がセットであり、効率よく水を分解するには、酸素発生反応と水素発生反応の両方の活性を高める必要があります.
これは一筋縄ではいきません.酸素発生反応と水素発生反応はともに必要な特性が異なり、使われている触媒も異なります.近年のOERとHERの触媒材料については別の記事でまとめています.
参考文献
化学と教育 1996 年 44 巻 10 号 p. 656-659
Sustainable Energy & Fuels, 2020, 4.11: 5417-5432.
Advanced Materials, 2021, 33.20: 2006328.
[a] Science, 2008, 321.5892: 1072-1075.